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絹本著色豊臣秀吉像

ページID:0137491 更新日:2026年3月3日 印刷ページ表示
南予
絵画
安土・桃山時代
アートや工芸の美に触れる
絹本著色豊臣秀吉像の画像
絹本著色豊臣秀吉像の画像
詳細情報
区分・種別
国指定
重要文化財
絵画
時代
安土・桃山時代
よみ
けんぽんちゃくしょくとよとみひでよしぞう
名称
絹本著色豊臣秀吉像
所在地
宇和島市御殿町
所有者
宇和島市伊達文化保存会
管理団体
指定年月日
昭和10年4月30日

解説

 この肖像画は、縦131.9センチメートル、横103.6センチメートルで絹本著色である。現存する数少ない豊臣秀吉の肖像画のうちもっとも大幅で、しかも優れたものとして教科書などにもよく紹介されている肖像画である。豊臣秀吉が慶長3(1598)年に亡くなると、彼の恩顧を受けた武将たちが、遺徳をしたって肖像画を描かせた例は少なくなかった。その後、徳川氏に権力が移るとともに幕府にはばかり、秀吉の画像は粗末に扱われ、現在まで伝わっているものは数少ない。この画像を描かせたのは、秀吉の側近伊勢国安濃津(あのつ)の城主富田左近将監知信で、慶長4(1599)年西笑承(さいしょうじょうたいおしょう)兌和尚の賛がある。画家は不明であるが、狩野派の有力な人物が描いたものと推定されている。知信の死後、彼の嗣子である富田信高は徳川氏より宇和郡10万石に封ぜられ、板島(いまの宇和島)の地に亡父菩提のため正眼院(いまの金剛山大隆寺)を建立した。その際この画像も寺に寄進されたものと推測され、信高改易ののちもこの寺に伝わってきたが、弘化4(1847)年に時の藩主伊達宗城に献上され、以後伊達家の所有となって現在に至っている。