本文
石造宝篋印塔(宗昌寺)
中予
建造物
南北朝時代
荘厳で神秘的
| 区分・種別 |
県指定
有形文化財
建造物
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|---|---|
| 時代 | 南北朝時代
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| よみ | せきぞうほうきょういんとう いっき
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| 名称 | 石造宝篋印塔 1基
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| 所在地 | 松山市八反地
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| 所有者 | 宗昌寺
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和51年4月16日
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解説
宗昌寺の境内に建立されているこの塔は、慶得宗昌禅尼の3年忌に造立したもので、2段の基壇上に立ち、総高186cmの花崗岩製である。
基礎には格狭間(ごうざま)を彫り、背面に貞治3(1364)年の造立銘が刻まれている。基礎上の陰陽のはなはだしい反花(かえりばな)座の手法、塔身に刻まれた梵字の筆法、笠四隅の馬耳突起と入念な作りである。
相輪、露盤、笠、塔身、基礎が美的によく調和している。また、造りは関西様式であり、南北朝時代の特色を示す優れた作品といえよう。
(大蟲和尚は、峰翁(ほうおう)に学んだ代表的な禅僧である。招かれて松山市八反地に宗昌寺を開き、貞治元年(1362年)7月19日但馬の大明寺で死去した。永徳2(1382)年に大證禅師の号を朝廷から授かっている。注 貞治と永徳は共に北朝の年号である。)
基礎には格狭間(ごうざま)を彫り、背面に貞治3(1364)年の造立銘が刻まれている。基礎上の陰陽のはなはだしい反花(かえりばな)座の手法、塔身に刻まれた梵字の筆法、笠四隅の馬耳突起と入念な作りである。
相輪、露盤、笠、塔身、基礎が美的によく調和している。また、造りは関西様式であり、南北朝時代の特色を示す優れた作品といえよう。
(大蟲和尚は、峰翁(ほうおう)に学んだ代表的な禅僧である。招かれて松山市八反地に宗昌寺を開き、貞治元年(1362年)7月19日但馬の大明寺で死去した。永徳2(1382)年に大證禅師の号を朝廷から授かっている。注 貞治と永徳は共に北朝の年号である。)
所在地
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