本文
大山祇神社宝篋印塔
東予
建造物
鎌倉時代
荘厳で神秘的より深く学べる(ガイダンス・展示施設等隣接)
| 区分・種別 |
国指定
重要文化財
建造物
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|---|---|
| 時代 | 鎌倉時代
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| よみ | おおやまづみじんじゃほうきょういんとう
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| 名称 | 大山祇神社宝篋印塔 3基
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| 所在地 | 今治市大三島町宮浦
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| 所有者 | 大山祇神社
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和27年11月22日
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解説
大山祇神社の境内に、一遍上人(いっぺんしょうにん)由縁と伝えられる宝篋印塔が3基並んでいる。いずれも花崗岩製で中央のものが一番大きく、蓮弁(れんべん)を基礎下と上2段に備え合わせて3段にした造りである。また相輪(そうりん)上部の請(うけばな)花は逆にたれさがり特異な形をとっている。総高394cm余りである。
両側の2基は、中央のものよりやや小形であり、左端のものは3基の中で最も簡素な造りであるが、いずれも極めてよく均整のとれた容姿で、様式、技法すべてが鎌倉時代の特色を備えている。
この宝篋印塔は、もともと亀井八幡神社左方の丘陵上(篠塚公園)に建てられていたが、のち現在地に移したといわれている。
2段の基壇上に立ち総高192cm、基壇を含めると238cmの花崗岩製である。地元では南北朝時代の武将篠塚伊賀守の墓として崇敬しているが、造立の沿革についての資料はなく不明である。
基礎には格狭間(ごうざま)を3面に彫り、塔身には梵字(ぼんじ)が刻まれている。笠の四隅にある突起は一枚石で作られている。
保存状態はよく、基礎や笠の突起部にわずかな破損がみられる程度である。銘文は読解不能であるが、形式や手法など鎌倉時代末期の特色をよく表わしたものである。
両側の2基は、中央のものよりやや小形であり、左端のものは3基の中で最も簡素な造りであるが、いずれも極めてよく均整のとれた容姿で、様式、技法すべてが鎌倉時代の特色を備えている。
この宝篋印塔は、もともと亀井八幡神社左方の丘陵上(篠塚公園)に建てられていたが、のち現在地に移したといわれている。
2段の基壇上に立ち総高192cm、基壇を含めると238cmの花崗岩製である。地元では南北朝時代の武将篠塚伊賀守の墓として崇敬しているが、造立の沿革についての資料はなく不明である。
基礎には格狭間(ごうざま)を3面に彫り、塔身には梵字(ぼんじ)が刻まれている。笠の四隅にある突起は一枚石で作られている。
保存状態はよく、基礎や笠の突起部にわずかな破損がみられる程度である。銘文は読解不能であるが、形式や手法など鎌倉時代末期の特色をよく表わしたものである。
所在地
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