本文
明石寺本堂ほか8件
南予
建造物
江戸時代明治時代大正時代昭和時代(昭和20年(1945)まで)現代(昭和20年(1945)から現在)
荘厳で神秘的
| 区分・種別 |
国登録
有形文化財
建造物
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|---|---|
| 時代 | 江戸時代明治時代大正時代昭和時代(昭和20年(1945)まで)現代(昭和20年(1945)から現在)
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| よみ | めいせきじほんどう
めいせきじ だいしどう めいせきじ じぞうどう めいせきじにおうもん めいせきじ きゃくでん めいせきじ しょうろうどう めいせきじちょうずや めいせきじいしがきおよびへい めいせきじいしだんおよびいしがき |
| 名称 | 明石寺本堂
明石寺大師堂 明石寺地蔵堂 明石寺仁王門 明石寺客殿 明石寺鐘楼堂 明石寺手水舎 明石寺石垣及び塀 明石寺石段及び石垣 |
| 所在地 | 西予市宇和町明石
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| 所有者 | 個人
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 平成19年10月2日
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解説
明石寺は四国霊場第43番札所として、多くのお遍路さんが訪れる寺院で、境内には数多くの堂宇が建ち並びます。赤茶色の瓦を葺き、建物全体に派手な彫刻を施すのが特徴です。
境内最上段に位置する本堂は、入母屋造、桟瓦葺で、正面に檜皮葺の唐破風屋根を付けた向拝を設けます。明治23年(1890)ごろの建築で、向拝には多数の彫刻が見られます。
大師堂は、宝形造、桟瓦葺で、明治13年(1880)に建てられました。正面向拝の虹梁には波と雲の彫刻を施し、木鼻には獅子を彫っています。
地蔵堂は入母屋造、桟瓦葺で、明治42年(1909)の建築です。建物全体に多様な彫刻を施されています。
境内中段、本堂前方に位置する仁王門は入母屋造、桟瓦葺で、明治34年(1901)に建てられました。
客殿は大正期の建築です。正面に唐破風屋根の式台を付け、内部には48畳敷きの広間を設けています。昭和42年(1967)に改造されています。
鐘楼堂は入母屋造、桟瓦葺で、江戸時代末期の建築です。他の建物より装飾は控えめですが、軒の出が深く、屋根の反りが大変美しい建物です。
手水舎は切妻造、銅板葺で、昭和12年(1937)の建築です。中央に手水鉢を置きます。
石垣及び塀は昭和5年(1930)、同19年(1944)の建設で、本堂のある最上段の敷地を形成します。石垣の高さは3.8m、石垣上の塀は鉄筋コンクリート造で擬宝珠をのせ、柱間の花頭窓風に透かした意匠が特徴的です。
石段及び石垣は大正5年(1916)の建設で、昭和時代初期にも増設されています。御影石の切石を用い、石段の幅は3.6m、踊場を設けた43段からなり、仁王門前に続きます。石垣は境内中段の平地を造成。野面石を用いた乱積で、西側の一部は矢羽積にしています。傾斜地を利用した境内環境を形成します。
境内最上段に位置する本堂は、入母屋造、桟瓦葺で、正面に檜皮葺の唐破風屋根を付けた向拝を設けます。明治23年(1890)ごろの建築で、向拝には多数の彫刻が見られます。
大師堂は、宝形造、桟瓦葺で、明治13年(1880)に建てられました。正面向拝の虹梁には波と雲の彫刻を施し、木鼻には獅子を彫っています。
地蔵堂は入母屋造、桟瓦葺で、明治42年(1909)の建築です。建物全体に多様な彫刻を施されています。
境内中段、本堂前方に位置する仁王門は入母屋造、桟瓦葺で、明治34年(1901)に建てられました。
客殿は大正期の建築です。正面に唐破風屋根の式台を付け、内部には48畳敷きの広間を設けています。昭和42年(1967)に改造されています。
鐘楼堂は入母屋造、桟瓦葺で、江戸時代末期の建築です。他の建物より装飾は控えめですが、軒の出が深く、屋根の反りが大変美しい建物です。
手水舎は切妻造、銅板葺で、昭和12年(1937)の建築です。中央に手水鉢を置きます。
石垣及び塀は昭和5年(1930)、同19年(1944)の建設で、本堂のある最上段の敷地を形成します。石垣の高さは3.8m、石垣上の塀は鉄筋コンクリート造で擬宝珠をのせ、柱間の花頭窓風に透かした意匠が特徴的です。
石段及び石垣は大正5年(1916)の建設で、昭和時代初期にも増設されています。御影石の切石を用い、石段の幅は3.6m、踊場を設けた43段からなり、仁王門前に続きます。石垣は境内中段の平地を造成。野面石を用いた乱積で、西側の一部は矢羽積にしています。傾斜地を利用した境内環境を形成します。
所在地
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