本文
国津比古命神社楼門
中予
建造物
江戸時代
荘厳で神秘的
| 区分・種別 |
県指定
有形文化財
建造物
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|---|---|
| 時代 | 江戸時代
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| よみ | くにつひこのみことじんじゃろうもん いっとう
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| 名称 | 国津比古命神社楼門 1棟
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| 所在地 | 松山市八反地
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| 所有者 | 国津比古命神社
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和32年12月14日
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解説
国津比古命神社は、八反地集落の東の丘陵にあり、櫛玉比売命(くしたまひめのみこと)神社に隣接している。由緒によれば、風速国造(くにのみやつこ)物部阿佐利の創建と伝えられ、延喜式内社の一つである。以後、風早氏の氏神として発展し、波田村、神田村が神戸(かんべ)として設定されていた。もとは頭日(うぐひ)八幡宮と称していたが、享保年間(1716~36年)に今の社名に変更された。
この神社の境内にある楼門は、慶長10(1605)年に松山市の阿沼美(あぬみ)神社に創建されたものを、元禄年間(1688~1704年)に移築したもので、桁行3間、梁間2間、一重、入母屋造、本瓦葺の八脚門である。創建後たびたび改造されているが、様式は和様に一部禅宗様が加味されたもので、組物や彫刻等に桃山時代の様式がよくのこされており、創建当時をしのぶことができる。
この神社の境内にある楼門は、慶長10(1605)年に松山市の阿沼美(あぬみ)神社に創建されたものを、元禄年間(1688~1704年)に移築したもので、桁行3間、梁間2間、一重、入母屋造、本瓦葺の八脚門である。創建後たびたび改造されているが、様式は和様に一部禅宗様が加味されたもので、組物や彫刻等に桃山時代の様式がよくのこされており、創建当時をしのぶことができる。
所在地
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