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義農作兵衛の墓

ページID:0137797 更新日:2026年3月3日 印刷ページ表示
中予
史跡
江戸時代
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義農作兵衛の墓の画像
義農作兵衛の墓の画像
詳細情報
区分・種別
県指定
記念物
史跡
時代
江戸時代
よみ
ぎのうさくべえのはか
名称
義農作兵衛の墓
所在地
松前町筒井
所有者
松前町
管理団体
指定年月日
昭和23年10月28日

解説

 作兵衛は、元禄元(1688)年2月10日に松山藩筒井村(現松前町)に生まれた。田畑3反3畝(約3272㎡)小作田1反5畝(約1487㎡)を耕作する小農で、年貢もきちんと納めていた勤勉な農民であった。
 享保17(1732)年の豪雨・洪水で麦は収穫できず、田植えをした稲はウンカの大発生により大飢饉となった。松山藩の被害は諸藩中最大で、餓死者は、3489人におよんだという。
 前年病気で妻を失い、この年父と息子が餓死し、本人も農作業中に倒れたが、彼は麦種の食用をすすめる隣人に「種は農の本でわが命より尊い」と説き、麦種を枕に同年9月23日、45歳でなくなった。その後、世人から「義農」とたたえられている。
 安永5(1776)年、藩主松平定静(まつだいらさだきよ)はその義をたたえ、藩の儒学者の丹波南陵(たんばなんりょう)に碑文を書かせ「義農之墓」の碑を墓前に建てて永く顕彰することとした。