本文
泉貨居士の墓
南予
史跡
安土・桃山時代
愛媛の偉人を知る
| 区分・種別 |
県指定
記念物
史跡
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|---|---|
| 時代 | 安土・桃山時代
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| よみ | せんかこじのはか
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| 名称 | 泉貨居士の墓
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| 所在地 | 西予市野村町野村
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| 所有者 | 個人
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和24年9月17日
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解説
「泉貨」(仙貨)とは、宇和郡山間部の特産品であった泉貨紙(仙貨紙、仙花紙)の製法を創案したという兵頭太郎右(左)衛門道正の号である。その墓は安楽寺の墓地南端にあり、墓碑の高さ95cmあまりである。
兵頭太郎右(左)衛門は戦国時代末期、宇和松葉城主であった西園寺公広に仕え、天正12(1584)年、25貫文の領地と兵頭姓を与えられたという。同15年主家滅亡後、彼は安楽寺近くに草庵を結び、隠せいして「泉貨」と号し、慶長2(1597)年に没した。
この間、彼は楮(こうぞ)の皮を原料とし、「トロロ」というアオイ科の草根汁を混ぜて粘着力を強め、粗、精の漉き紙2枚を重ね合わせる独特の製紙法をあみ出した。この紙は、紙質が強じんでシミの害がつきにくいため、帳簿用紙、経本、折本などに重用されることになる。泉貨紙の生産はやがて宇和島藩の保護をうけて発展したが、文化年間(1804~1818年)になると藩専売制をしき利益を独占している。明治、大正時代には地場産業として盛えたが、洋紙の普及でその後衰微の道をたどっている。
兵頭太郎右(左)衛門は戦国時代末期、宇和松葉城主であった西園寺公広に仕え、天正12(1584)年、25貫文の領地と兵頭姓を与えられたという。同15年主家滅亡後、彼は安楽寺近くに草庵を結び、隠せいして「泉貨」と号し、慶長2(1597)年に没した。
この間、彼は楮(こうぞ)の皮を原料とし、「トロロ」というアオイ科の草根汁を混ぜて粘着力を強め、粗、精の漉き紙2枚を重ね合わせる独特の製紙法をあみ出した。この紙は、紙質が強じんでシミの害がつきにくいため、帳簿用紙、経本、折本などに重用されることになる。泉貨紙の生産はやがて宇和島藩の保護をうけて発展したが、文化年間(1804~1818年)になると藩専売制をしき利益を独占している。明治、大正時代には地場産業として盛えたが、洋紙の普及でその後衰微の道をたどっている。
所在地
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