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足立重信の墓

ページID:0137763 更新日:2026年3月3日 印刷ページ表示
中予
史跡
江戸時代
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足立重信の墓の画像
足立重信の墓の画像
詳細情報
区分・種別
県指定
記念物
史跡
時代
江戸時代
よみ
あだちしげのぶのはか
名称
足立重信の墓
所在地
松山市御幸1丁目
所有者
来迎寺
管理団体
松山市
指定年月日
昭和26年11月27日

解説

 足立重信は松山城主加藤嘉明(かとうよしあき(よしあきら))の重臣で、その墓は彼の遺言によって松山城を望む城北の地、来迎寺(らいごうじ)の丘上にある。墓碑の高さ約224cm、花崗岩で作られた五輪塔である。
 重信は永禄6(1563)年ころ、美濃国に生まれた。天正年間(1573~1592年)に加藤嘉明に仕え、文禄4(1595)年嘉明が文禄の役の功により、淡路国志賀城主から伊予国正木(まさき)(松前(まさき))城主に転封されたのに伴って伊予に来住した。慶長3(1598)年重信は命をうけて伊予川(重信川)の改修を行い、正木城の洪水防止に成功するとともに新しく5000町歩の耕地を生み出した。
 慶長5(1600)年関ケ原の戦功で20万石の大名となった嘉明は、勝山築城と城下町の建設を計画し、重信に普請奉行(ふしんぶぎょう)を命じた。着工より20数年、完工をみずして重信は、寛永2(1625)年永眠した。