本文
仰西渠
中予
史跡
江戸時代
愛媛の偉人を知る
| 区分・種別 |
県指定
記念物
史跡
|
|---|---|
| 時代 | 江戸時代
|
| よみ | こうさいきょ
|
| 名称 | 仰西渠
|
| 所在地 | 久万高原町西明神
|
| 所有者 | 久万高原町
|
| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和25年10月24日
|
解説
仰西渠(こうさいきょ)は、江戸時代の明暦(1655~1658)から寛文年間(1661~1673)のころ久万川(くまがわ)の上流、天丸川(てんまるかわ)に沿って安山岩の岩盤を掘削して造られた用水路である。その長さ57m、幅2.2m、深さ1.5mで、川水を取り入れて下流の水田25ヘクタールを潤している。
旧久万町村の商家山田屋の山之内彦左衛門(やまのうちひこざえもん)が私財を投じて掘ったもので、彦左衛門の号「仰西(こうさい)」にちなんで、水路を仰西渠(こうさい きょ)と名づけた。
当時の久万町村・入野村は用水源に乏しく、西明神村の天丸川に堰(せき)をもうけ樋(ひ)をつないで取水したが、破損しやすく経費と労力を空費していた。そこで彦左衛門は恒久策として水路の切り開きを計画し、石のみと槌だけで3か年かけて完成したという。多くの人を雇い、岩を砕いた石くず1升に米1升を交換して励ましたりして、工事のために私財をほとんど無くしたという。
現地の丘に明治10(1877)年「仰西渠之碑」が建立され徳をたたえている。
旧久万町村の商家山田屋の山之内彦左衛門(やまのうちひこざえもん)が私財を投じて掘ったもので、彦左衛門の号「仰西(こうさい)」にちなんで、水路を仰西渠(こうさい きょ)と名づけた。
当時の久万町村・入野村は用水源に乏しく、西明神村の天丸川に堰(せき)をもうけ樋(ひ)をつないで取水したが、破損しやすく経費と労力を空費していた。そこで彦左衛門は恒久策として水路の切り開きを計画し、石のみと槌だけで3か年かけて完成したという。多くの人を雇い、岩を砕いた石くず1升に米1升を交換して励ましたりして、工事のために私財をほとんど無くしたという。
現地の丘に明治10(1877)年「仰西渠之碑」が建立され徳をたたえている。
所在地
地図の読み込みに関する問題が発生したとき<外部リンク>







