本文
甘崎城跡
東予
史跡
室町時代安土・桃山時代江戸時代
自然を堪能できる
| 区分・種別 |
県指定
記念物
史跡
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|---|---|
| 時代 | 室町時代安土・桃山時代江戸時代
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| よみ | あまざきじょうあと
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| 名称 | 甘崎城跡
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| 所在地 | 今治市上浦町甘崎
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| 所有者 | 荒神社
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和51年4月16日
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解説
甘崎城跡は、大三島の東岸近く、鼻栗(はなぐり)瀬戸に浮かぶ小島、古城(ふるしろ)島に築かれた水軍の海城の遺跡である。別名を天崎(あまざき)城、荒神(こうじん)城、岸(きし)城ともいう。
島全体が城跡となっており、東西約300m、南北約80mの規模と考えられ、最高所標高18mの丘に郭が区分されていた。海浜から海底にかけて、大小38条に及ぶ石垣遺構があり、総延長は約500mが確認されている。
また、岩礁には何らかの繋船施設と考えられる整然とした柱穴跡が多数確認されている。
城主としては戦国時代に村上通康(むらかみみちやす)、今岡民部(いまおかみんぶ)、村上吉継(むらかみよしつぐ)の名がみえ、のち今治城主藤堂高虎(とうどうたかとら)の支城となって、慶長年間(1596~1615年)に廃城となった。
島全体が城跡となっており、東西約300m、南北約80mの規模と考えられ、最高所標高18mの丘に郭が区分されていた。海浜から海底にかけて、大小38条に及ぶ石垣遺構があり、総延長は約500mが確認されている。
また、岩礁には何らかの繋船施設と考えられる整然とした柱穴跡が多数確認されている。
城主としては戦国時代に村上通康(むらかみみちやす)、今岡民部(いまおかみんぶ)、村上吉継(むらかみよしつぐ)の名がみえ、のち今治城主藤堂高虎(とうどうたかとら)の支城となって、慶長年間(1596~1615年)に廃城となった。
所在地
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