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能島城跡
東予
史跡
南北朝時代室町時代安土・桃山時代
フォトジェニックな場所ファミリーで楽しめるより深く学べる(ガイダンス・展示施設等隣接)
| 区分・種別 |
国指定
記念物
史跡
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|---|---|
| 時代 | 南北朝時代室町時代安土・桃山時代
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| よみ | のしまじょうあと
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| 名称 | 能島城跡
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| 所在地 | 今治市宮窪町宮窪
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| 所有者 | 宮窪町ほか
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| 管理団体 | 今治市
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| 指定年月日 | 昭和28年3月31日
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解説
能島城跡は、能島(野島ともいい、標高25m、面積約1.5ha)と属島の鯛崎島(たいさきしま)(標高22m、面積約0.3ha)にまたがり、南北朝時代から戦国時代にかけて能島村上氏(野島氏)が居城とした典型的な海城の遺跡である。
両島は、大島と伯方島との海峡(宮窪瀬戸及び荒神瀬戸)にあって鵜島(うしま)に隣接し、内海横断の重要水路に位置する要衝であった。
能島は江戸時代以降無人島であったため、遺構がよく残っている。島全体を3段に削って、本丸・二の丸・三の丸と階段状に郭を設け、さらに東隅と南隅に出丸が配置されている(東隅の出丸は、矢櫃(やびつ)といわれる)。鯛崎島の頂上も削られて出丸が築かれていた。両島の周囲の要所には岩礁のうえに380個に及ぶ柱穴(ちゅうけつ)が整然と残っていて、この海城の規模や構造をうかがわせる。
室町時代に村上水軍の根拠地となり、以後特異な城郭としてその威を誇ってきたが、豊臣秀吉の四国統一の後に廃城となったと考えられる。中世の内海をめぐる歴史や城郭研究の上で貴重な史跡である。
両島は、大島と伯方島との海峡(宮窪瀬戸及び荒神瀬戸)にあって鵜島(うしま)に隣接し、内海横断の重要水路に位置する要衝であった。
能島は江戸時代以降無人島であったため、遺構がよく残っている。島全体を3段に削って、本丸・二の丸・三の丸と階段状に郭を設け、さらに東隅と南隅に出丸が配置されている(東隅の出丸は、矢櫃(やびつ)といわれる)。鯛崎島の頂上も削られて出丸が築かれていた。両島の周囲の要所には岩礁のうえに380個に及ぶ柱穴(ちゅうけつ)が整然と残っていて、この海城の規模や構造をうかがわせる。
室町時代に村上水軍の根拠地となり、以後特異な城郭としてその威を誇ってきたが、豊臣秀吉の四国統一の後に廃城となったと考えられる。中世の内海をめぐる歴史や城郭研究の上で貴重な史跡である。
所在地
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