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能島城跡

ページID:0137725 更新日:2026年3月3日 印刷ページ表示
東予
史跡
南北朝時代室町時代安土・桃山時代
フォトジェニックな場所ファミリーで楽しめるより深く学べる(ガイダンス・展示施設等隣接)
能島城跡の画像1
能島城跡の画像2
能島城跡の画像3
能島城跡の画像4
能島城跡の画像5
能島城跡の画像1
能島城跡の画像2
能島城跡の画像3
能島城跡の画像4
能島城跡の画像5
詳細情報
区分・種別
国指定
記念物
史跡
時代
南北朝時代室町時代安土・桃山時代
よみ
のしまじょうあと
名称
能島城跡
所在地
今治市宮窪町宮窪
所有者
宮窪町ほか
管理団体
今治市
指定年月日
昭和28年3月31日

解説

 能島城跡は、能島(野島ともいい、標高25m、面積約1.5ha)と属島の鯛崎島(たいさきしま)(標高22m、面積約0.3ha)にまたがり、南北朝時代から戦国時代にかけて能島村上氏(野島氏)が居城とした典型的な海城の遺跡である。
 両島は、大島と伯方島との海峡(宮窪瀬戸及び荒神瀬戸)にあって鵜島(うしま)に隣接し、内海横断の重要水路に位置する要衝であった。
 能島は江戸時代以降無人島であったため、遺構がよく残っている。島全体を3段に削って、本丸・二の丸・三の丸と階段状に郭を設け、さらに東隅と南隅に出丸が配置されている(東隅の出丸は、矢櫃(やびつ)といわれる)。鯛崎島の頂上も削られて出丸が築かれていた。両島の周囲の要所には岩礁のうえに380個に及ぶ柱穴(ちゅうけつ)が整然と残っていて、この海城の規模や構造をうかがわせる。
 室町時代に村上水軍の根拠地となり、以後特異な城郭としてその威を誇ってきたが、豊臣秀吉の四国統一の後に廃城となったと考えられる。中世の内海をめぐる歴史や城郭研究の上で貴重な史跡である。