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横山城跡

ページID:0137786 更新日:2026年3月3日 印刷ページ表示
中予
史跡
南北朝時代室町時代安土・桃山時代
自然を堪能できる
横山城跡の画像
横山城跡の画像
詳細情報
区分・種別
県指定
記念物
史跡
時代
南北朝時代室町時代安土・桃山時代
よみ
よこやまじょうあと
名称
横山城跡
所在地
松山市麓
所有者
麓部落
管理団体
松山市
指定年月日
昭和28年2月13日

解説

 横山城跡は、標高460mの横山山頂にあって、北に善応寺(ぜんのうじ)の雄甲(おんごう)・雌甲(めんごう)などの城塞を、西には粟井坂(あわいざか)の宅並城(たくなみじょう)を配置し、後方は五明(ごみょう)口を経てはるか本城の湯築城(ゆづきじょう)に通ずる戦略的要地にある。建武年間(1334~1336年)河野氏が本拠地を湯築城に移したとき、その背後の守りとして同じ時期に河野通武(こうの みちたけ)が築いたといわれ、以後、その子孫の南氏が代々の城主となった。
 天正13(1585)年、豊臣秀吉の四国統一に対し、南通具(みなみみちとも)は宗家河野氏とともに戦ったが敗れ、横山城は廃城となった。
 城は山城で、東西約35m・南北約20mの本丸・出丸・「馬乗り駄場」と呼ばれる郭(くるわ)が設けられている。本丸の中央部には、「太鼓岩」とも「天狗岩」ともよばれる巨岩があり、その表面のいたるところに穴がうがたれている。これは、岩上に櫓(やぐら)を組み立てた際の柱穴と考えられている。