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恵良城跡
中予
史跡
平安時代鎌倉時代南北朝時代室町時代安土・桃山時代
自然を堪能できる
| 区分・種別 |
県指定
記念物
史跡
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|---|---|
| 時代 | 平安時代鎌倉時代南北朝時代室町時代安土・桃山時代
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| よみ | えりょうじょうあと
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| 名称 | 恵良城跡
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| 所在地 | 松山市上難波
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| 所有者 | 恵良神社ほか
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和52年4月15日
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解説
恵良城跡は、旧北条市北部、恵良山(標高302m)にある山城跡である。恵良山はその形状から烏帽子(えぼし)山また冠(かんむり)山とも呼ばれている天然の要害である。
山頂が城の中心部分となっており、その西側の下段には二の郭がある。また、山腹の3か所には井戸の遺構などがみられる。
記録によれば治承5(1181)年、平家側の奴何(ぬ か)入道西寂が河野通清(こうのみちきよ)を攻撃したとき、通清は日高・高穴・恵亮(恵良)などの砦を守らせたとあるのが初見であり、以後、風早(かざはや)郡の要衝として河野氏の諸将の居城となった。天正13(1585)年、豊臣秀吉の四国統一によって河野氏が滅亡し、恵良城は来島康親(くるしまやすちか)の居城となったが、その後、関ケ原の戦いに西軍に荷担した来島氏が豊後国森へ移封され、この恵良城は廃城となった。
山頂が城の中心部分となっており、その西側の下段には二の郭がある。また、山腹の3か所には井戸の遺構などがみられる。
記録によれば治承5(1181)年、平家側の奴何(ぬ か)入道西寂が河野通清(こうのみちきよ)を攻撃したとき、通清は日高・高穴・恵亮(恵良)などの砦を守らせたとあるのが初見であり、以後、風早(かざはや)郡の要衝として河野氏の諸将の居城となった。天正13(1585)年、豊臣秀吉の四国統一によって河野氏が滅亡し、恵良城は来島康親(くるしまやすちか)の居城となったが、その後、関ケ原の戦いに西軍に荷担した来島氏が豊後国森へ移封され、この恵良城は廃城となった。
所在地
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