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近藤篤山の旧邸

ページID:0137789 更新日:2026年3月3日 印刷ページ表示
東予
史跡
江戸時代
ファミリーで楽しめる愛媛の偉人を知るより深く学べる(ガイダンス・展示施設等隣接)
近藤篤山の旧邸の画像1
近藤篤山の旧邸の画像2
近藤篤山の旧邸の画像3
近藤篤山の旧邸の画像1
近藤篤山の旧邸の画像2
近藤篤山の旧邸の画像3
詳細情報
区分・種別
県指定
記念物
史跡
時代
江戸時代
よみ
こんどうとくざんのきゅうてい
名称
近藤篤山の旧邸
所在地
西条市小松町新屋敷
所有者
個人
管理団体
指定年月日
昭和24年9月17日

解説

 近藤篤山は、江戸時代の朱子学者で、小松藩の儒官であった。明和3(1766)年、宇摩郡小林村(現四国中央市土居町)に生まれた。名は春崧、通称高太郎、篤山はその号である。
 弟(後に西条藩学択善堂の初代教官となった三品容斎(みしなようさい))と共に大坂の尾藤二洲(びとうじしゅう)の門に学び、さらに江戸の昌平黌(しょうへいこう)にも学んだ。帰郷後川之江で私塾を開いたが、享和2(1802)年小松藩主に賓師(ひんし)の礼をもって迎えられ、藩学(校)培達校(翌年、養正館と改称)の儒官となり、藩内はもちろん藩外多数の門人を教化した。世に「伊予聖人」と称せられた人物である。
 天保年間(1830~1844年)に建てられた表門も現存、書斎も往時のままに残されている。平成6(1994)年に旧小松町が近藤家より家屋部分の寄贈を受け、整備の後、現在は一般公開されている。