本文
近藤篤山の旧邸
東予
史跡
江戸時代
ファミリーで楽しめる愛媛の偉人を知るより深く学べる(ガイダンス・展示施設等隣接)
| 区分・種別 |
県指定
記念物
史跡
|
|---|---|
| 時代 | 江戸時代
|
| よみ | こんどうとくざんのきゅうてい
|
| 名称 | 近藤篤山の旧邸
|
| 所在地 | 西条市小松町新屋敷
|
| 所有者 | 個人
|
| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和24年9月17日
|
解説
近藤篤山は、江戸時代の朱子学者で、小松藩の儒官であった。明和3(1766)年、宇摩郡小林村(現四国中央市土居町)に生まれた。名は春崧、通称高太郎、篤山はその号である。
弟(後に西条藩学択善堂の初代教官となった三品容斎(みしなようさい))と共に大坂の尾藤二洲(びとうじしゅう)の門に学び、さらに江戸の昌平黌(しょうへいこう)にも学んだ。帰郷後川之江で私塾を開いたが、享和2(1802)年小松藩主に賓師(ひんし)の礼をもって迎えられ、藩学(校)培達校(翌年、養正館と改称)の儒官となり、藩内はもちろん藩外多数の門人を教化した。世に「伊予聖人」と称せられた人物である。
天保年間(1830~1844年)に建てられた表門も現存、書斎も往時のままに残されている。平成6(1994)年に旧小松町が近藤家より家屋部分の寄贈を受け、整備の後、現在は一般公開されている。
弟(後に西条藩学択善堂の初代教官となった三品容斎(みしなようさい))と共に大坂の尾藤二洲(びとうじしゅう)の門に学び、さらに江戸の昌平黌(しょうへいこう)にも学んだ。帰郷後川之江で私塾を開いたが、享和2(1802)年小松藩主に賓師(ひんし)の礼をもって迎えられ、藩学(校)培達校(翌年、養正館と改称)の儒官となり、藩内はもちろん藩外多数の門人を教化した。世に「伊予聖人」と称せられた人物である。
天保年間(1830~1844年)に建てられた表門も現存、書斎も往時のままに残されている。平成6(1994)年に旧小松町が近藤家より家屋部分の寄贈を受け、整備の後、現在は一般公開されている。
所在地
地図の読み込みに関する問題が発生したとき<外部リンク>








