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別子銅山口屋跡

ページID:0137777 更新日:2026年3月3日 印刷ページ表示
東予
史跡
江戸時代明治時代
別子銅山口屋跡の画像
別子銅山口屋跡の画像
詳細情報
区分・種別
県指定
記念物
史跡
時代
江戸時代明治時代
よみ
べっしどうざんくちやあと
名称
別子銅山口屋跡
所在地
新居浜市西町
所有者
新居浜市
管理団体
指定年月日
昭和24年9月17日

解説

別子銅山は、元禄4(1691)年開坑、同7年には大火災に見舞われたが、その後順調に発展し、同15(1702)年には小箱峠(こばことうげ)・富郷(とみさと)を経由して宇摩郡の天満(てんま)に出る36kmに及ぶ険しい運搬路を、別子越の18kmの道に変更短縮した。
 その途中、立川(たつかわ)に中宿を設け、新居浜浦に口屋(浜宿)を構えた。口屋には別子一帯の天領を支配する川之江代官所の役人と銅山請負の住友家の手代が常駐し、入港する船の積荷の検査、浜倉への格納などに立会った。銅山から口屋へ運ばれた粗銅は精錬のため港から大坂の住友銅吹所(どうふきしょ)へ船送りされた。このように出入りの船舶、銅山用諸物資を管理支配する重要な施設であった口屋も、明治元(1868)年には住友分店と改称され、さらに同22(1889)年に惣開(そうびらき)に分店が移転したためこの地での歴史を閉じた。その後小学校や役場などに転用され、現在は口屋跡記念公民館となっている。