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中江藤樹の邸跡
南予
史跡
昭和時代(昭和20年(1945)まで)
ノスタルジックな気分にひたる愛媛の偉人を知る
| 区分・種別 |
県指定
記念物
史跡
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|---|---|
| 時代 | 昭和時代(昭和20年(1945)まで)
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| よみ | なかえとうじゅのやしきあと
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| 名称 | 中江藤樹の邸跡
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| 所在地 | 大洲市大洲
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| 所有者 | 愛媛県
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和23年10月28日
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解説
大洲城は、東に肱川、西に久米川が流れる標高約40mの小丘に築造された平山城で、地蔵ヶ岳(じぞうがたけ)城、亀ケ岡(かめがおか)城、大津城などと呼ばれた。
元弘年間(1331~1334)以来、宇都宮、戸田、藤堂、脇坂、加藤の諸氏が城主となった。
元和3(1617)年、加藤貞泰(さだやす)が大津(大洲)6万石の領主として入府し、以後、廃藩まで加藤家13代の居城となった。城は丘陵頂部を本丸、その下段を二の丸とし、西と南には内堀を設ける。その外側が三の丸で周囲には外堀があった。城郭の規模は東西約300m、南北約430mあり、天守のほかに20棟近い櫓があった。現在、城跡には本丸を中心とする石垣と櫓4棟(いずれも重要文化財)、内堀の一部が遺構として残り、このうち本丸と二の丸の一部を史跡に指定している。
平成16(2004)年、本丸に4層4階の天守を、発掘結果や古写真、江戸期の模型を参考にしながら忠実に復元した。
元弘年間(1331~1334)以来、宇都宮、戸田、藤堂、脇坂、加藤の諸氏が城主となった。
元和3(1617)年、加藤貞泰(さだやす)が大津(大洲)6万石の領主として入府し、以後、廃藩まで加藤家13代の居城となった。城は丘陵頂部を本丸、その下段を二の丸とし、西と南には内堀を設ける。その外側が三の丸で周囲には外堀があった。城郭の規模は東西約300m、南北約430mあり、天守のほかに20棟近い櫓があった。現在、城跡には本丸を中心とする石垣と櫓4棟(いずれも重要文化財)、内堀の一部が遺構として残り、このうち本丸と二の丸の一部を史跡に指定している。
平成16(2004)年、本丸に4層4階の天守を、発掘結果や古写真、江戸期の模型を参考にしながら忠実に復元した。
所在地
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