本文
東野お茶屋跡
中予
史跡
江戸時代
自然を堪能できる
| 区分・種別 |
県指定
記念物
史跡
|
|---|---|
| 時代 | 江戸時代
|
| よみ | ひがしのおちゃやあと
|
| 名称 | 東野お茶屋跡
|
| 所在地 | 松山市東野4丁目
|
| 所有者 | 愛媛県ほか
|
| 管理団体 | 東野御茶屋史跡保存会
|
| 指定年月日 | 昭和36年3月30日
|
解説
東野(ひがしの)お茶屋とは、松山藩初代藩主松平定行(まつだいらさだゆき)が万治2(1659)年、松山城下郊外の東野の地を選び、裏千家千宗安(せんのそうあん)に命じて家屋、庭園を設計させ、3年の歳月を経て寛文元(1661)年に完成した広壮な隠居所であり、建物は東野御殿(ひがしのごてん)の別称があった。
記録によると、周囲1里あまりを竹垣で囲み、北門を入ると東西に馬場があり、馬場東詰の中門を入ると御殿があった。御殿の西には壮大な池泉(ちせん)があり、その周囲の起伏した地形を利用して、「風呂のお茶屋」「竹のお茶屋」「傘のお茶屋」「いろはのお茶屋」等の草庵や観音堂、安心堂等の小堂が配されていた。池の橋を渡って吟松庵(ぎんしょうあん)(弟定政(さだまさ)の隠居所)に通じる間は東海道五十三次の情景を摸していたという。今は琵琶湖を摸したという古池と観音堂が残っているのみである。
記録によると、周囲1里あまりを竹垣で囲み、北門を入ると東西に馬場があり、馬場東詰の中門を入ると御殿があった。御殿の西には壮大な池泉(ちせん)があり、その周囲の起伏した地形を利用して、「風呂のお茶屋」「竹のお茶屋」「傘のお茶屋」「いろはのお茶屋」等の草庵や観音堂、安心堂等の小堂が配されていた。池の橋を渡って吟松庵(ぎんしょうあん)(弟定政(さだまさ)の隠居所)に通じる間は東海道五十三次の情景を摸していたという。今は琵琶湖を摸したという古池と観音堂が残っているのみである。
所在地
地図の読み込みに関する問題が発生したとき<外部リンク>







