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東野お茶屋跡

ページID:0137769 更新日:2026年3月3日 印刷ページ表示
中予
史跡
江戸時代
自然を堪能できる
東野お茶屋跡の画像1
東野お茶屋跡の画像2
東野お茶屋跡の画像1
東野お茶屋跡の画像2
詳細情報
区分・種別
県指定
記念物
史跡
時代
江戸時代
よみ
ひがしのおちゃやあと
名称
東野お茶屋跡
所在地
松山市東野4丁目
所有者
愛媛県ほか
管理団体
東野御茶屋史跡保存会
指定年月日
昭和36年3月30日

解説

 東野(ひがしの)お茶屋とは、松山藩初代藩主松平定行(まつだいらさだゆき)が万治2(1659)年、松山城下郊外の東野の地を選び、裏千家千宗安(せんのそうあん)に命じて家屋、庭園を設計させ、3年の歳月を経て寛文元(1661)年に完成した広壮な隠居所であり、建物は東野御殿(ひがしのごてん)の別称があった。
 記録によると、周囲1里あまりを竹垣で囲み、北門を入ると東西に馬場があり、馬場東詰の中門を入ると御殿があった。御殿の西には壮大な池泉(ちせん)があり、その周囲の起伏した地形を利用して、「風呂のお茶屋」「竹のお茶屋」「傘のお茶屋」「いろはのお茶屋」等の草庵や観音堂、安心堂等の小堂が配されていた。池の橋を渡って吟松庵(ぎんしょうあん)(弟定政(さだまさ)の隠居所)に通じる間は東海道五十三次の情景を摸していたという。今は琵琶湖を摸したという古池と観音堂が残っているのみである。