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子規堂(附埋髪塔)
中予
史跡
明治時代現代(昭和20年(1945)から現在)
ノスタルジックな気分にひたる愛媛の偉人を知る
| 区分・種別 |
県指定
記念物
史跡
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|---|---|
| 時代 | 明治時代現代(昭和20年(1945)から現在)
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| よみ | しきどう つけたり まいはつとう
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| 名称 | 子規堂(附埋髪塔)
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| 所在地 | 松山市末広町
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| 所有者 | 正宗寺
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和23年10月28日
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解説
俳人正岡子規(まさおかしき)は、松山市新玉町に生まれたが、まもなく湊町4丁目1番地に移り、17歳で上京するまでこの居宅に住んだ。彼の死後、居宅の一部を近くの正宗寺(しょうじゅうじ)の境内に移し、子規堂と名付けた。その後2度の火災にかかり、現在のものは旧宅を模して、昭和21(1946)年に再建されたものである。
総建坪151㎡木造平屋建、玄関が4畳、北に茶の間3畳、奥に8畳の書院、その北に6畳の間があり、玄関の南に3畳の小部屋がある。子規は少年時代この小部屋で勉強に励んだ。
また、同境内に明治37(1904)年9月建立の子規の埋髪塔(まいはつとう)がある。これは子規の三年忌に、生前親交のあった正宗寺の住職仏海(俳号一宿(いっしゅく))が遺髪を埋めて建立したもので、花崗岩の拝石は高さ81cm、幅94cm、正面に彫られている子規像と文字は、彼の親友であった下村為山(しもむらいざん)の筆になるものである。
総建坪151㎡木造平屋建、玄関が4畳、北に茶の間3畳、奥に8畳の書院、その北に6畳の間があり、玄関の南に3畳の小部屋がある。子規は少年時代この小部屋で勉強に励んだ。
また、同境内に明治37(1904)年9月建立の子規の埋髪塔(まいはつとう)がある。これは子規の三年忌に、生前親交のあった正宗寺の住職仏海(俳号一宿(いっしゅく))が遺髪を埋めて建立したもので、花崗岩の拝石は高さ81cm、幅94cm、正面に彫られている子規像と文字は、彼の親友であった下村為山(しもむらいざん)の筆になるものである。
所在地
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