本文
伊達秀宗の墓
南予
史跡
江戸時代
荘厳で神秘的
| 区分・種別 |
県指定
記念物
史跡
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|---|---|
| 時代 | 江戸時代
|
| よみ | べっしだて ひでむね の はか(ふじん と きんしん よにん の はか を ふくむ)
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| 名称 | 伊達秀宗の墓(夫人と近臣四人の墓を含む)
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| 所在地 | 宇和島市宇和津町1丁目
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| 所有者 | 個人
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和40年12月24日
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解説
宇和島藩伊達家初代藩主秀宗の墓は、野川の等覚寺(もと白雲山竜泉寺)の境内にあって、墓域は276平方メートルあまりにおよび、墓碑は高さ3.64mの五輪塔である。向かって左に宮崎八郎兵衛と渡辺藤左衛門、右に神尾勘解由と高島太郎右衛門の殉死した近臣4名の五輪塔墓がある。秀宗の妻(井伊直政の娘)の墓は、宇和津町の大隆寺(もと正眼院)にあり、高さ2.73mの五輪塔である。
秀宗は、天正19(1591)年に伊達政宗の長庶子として生まれた。文禄3(1594)年4歳のとき、豊臣秀吉の人質となり、翌々年秀吉の養子として元服、秀の一字をもらって秀宗と称した。関ケ原の戦後、徳川氏の人質となる。慶長19(1614)年、大坂冬の陣に従軍し、その功により宇和郡10万石に封ぜられ、翌元和元(1615)年、板島(宇和島)に入った。秀宗は初期藩政の確立にあたったが、その治政下で有名な「山家事件」があり、また、五男宗純に吉田3万石を分知するなど藩財政について苦慮している。
明暦4(1658)年6月、68歳をもって江戸藩邸で没した。
秀宗は、天正19(1591)年に伊達政宗の長庶子として生まれた。文禄3(1594)年4歳のとき、豊臣秀吉の人質となり、翌々年秀吉の養子として元服、秀の一字をもらって秀宗と称した。関ケ原の戦後、徳川氏の人質となる。慶長19(1614)年、大坂冬の陣に従軍し、その功により宇和郡10万石に封ぜられ、翌元和元(1615)年、板島(宇和島)に入った。秀宗は初期藩政の確立にあたったが、その治政下で有名な「山家事件」があり、また、五男宗純に吉田3万石を分知するなど藩財政について苦慮している。
明暦4(1658)年6月、68歳をもって江戸藩邸で没した。
所在地
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