本文
今治藩主の墓
東予
史跡
江戸時代
荘厳で神秘的
| 区分・種別 |
県指定
記念物
史跡
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|---|---|
| 時代 | 江戸時代
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| よみ | いまばりはんしゅのはか
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| 名称 | 今治藩主の墓
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| 所在地 | 今治市桜井
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| 所有者 | 個人
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和34年3月31日
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解説
今治藩主松平家の初代・3代・4代の墓所で、古国分山の中腹にある。墓地の広さは約1.8a、それぞれが瓦葺土塀に囲まれ、参道がつけられている。中央の初代定房(さだふさ)の墓は、墓碑の高さ3.6m、石柵で保護され、前面外側に2基の大灯籠があり、幅3.3m、長さ31mあまりの参道の両側にはそれぞれ9基の小灯籠を配している。左の3代定陳(さだのぶ)、右の4代定基(さだもと)の墓はやや小規模であるが、初代のものと類似している。江戸時代前期の大名墓所として代表的な遺跡である。藩祖定房は松平(久松)定勝(さだかつ)の五男、初代松山藩主松平定行(さだゆき)の弟で、延宝4(1676)年、73歳で没した。定陳は兵学者江島為信(えじまためのぶ)を重用し、藩政の整備に努め、元禄15(1702)年、36歳で没した。定基は蒼社川改修事業に着手するなど、その治世は34年間に
所在地
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