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今治藩主の墓

ページID:0137774 更新日:2026年3月3日 印刷ページ表示
東予
史跡
江戸時代
荘厳で神秘的
今治藩主の墓の画像1
今治藩主の墓の画像2
今治藩主の墓の画像3
今治藩主の墓の画像4
今治藩主の墓の画像1
今治藩主の墓の画像2
今治藩主の墓の画像3
今治藩主の墓の画像4
詳細情報
区分・種別
県指定
記念物
史跡
時代
江戸時代
よみ
いまばりはんしゅのはか
名称
今治藩主の墓
所在地
今治市桜井
所有者
個人
管理団体
指定年月日
昭和34年3月31日

解説

 今治藩主松平家の初代・3代・4代の墓所で、古国分山の中腹にある。墓地の広さは約1.8a、それぞれが瓦葺土塀に囲まれ、参道がつけられている。中央の初代定房(さだふさ)の墓は、墓碑の高さ3.6m、石柵で保護され、前面外側に2基の大灯籠があり、幅3.3m、長さ31mあまりの参道の両側にはそれぞれ9基の小灯籠を配している。左の3代定陳(さだのぶ)、右の4代定基(さだもと)の墓はやや小規模であるが、初代のものと類似している。江戸時代前期の大名墓所として代表的な遺跡である。藩祖定房は松平(久松)定勝(さだかつ)の五男、初代松山藩主松平定行(さだゆき)の弟で、延宝4(1676)年、73歳で没した。定陳は兵学者江島為信(えじまためのぶ)を重用し、藩政の整備に努め、元禄15(1702)年、36歳で没した。定基は蒼社川改修事業に着手するなど、その治世は34年間に