ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 えひめの文化財(たから)トップページ > 伊予国分尼寺塔跡

本文

伊予国分尼寺塔跡

ページID:0137773 更新日:2026年3月3日 印刷ページ表示
東予
史跡
飛鳥時代奈良時代平安時代
伊予国分尼寺塔跡の画像1
伊予国分尼寺塔跡の画像2
伊予国分尼寺塔跡の画像1
伊予国分尼寺塔跡の画像2
詳細情報
区分・種別
県指定
記念物
史跡
時代
飛鳥時代奈良時代平安時代
よみ
いよこくぶんにじとうあと
名称
伊予国分尼寺塔跡
所在地
今治市桜井
所有者
法華寺
管理団体
指定年月日
昭和31年11月3日

解説

 国分尼寺は、国分寺と同じく、聖武天皇が天平13(741)年に国家鎮護のため発願して、諸国に建立したものである。しかし、伊予国分尼寺が建立された時期は明らかではない。【寺伝では天平勝宝5(753)年】この塔跡はJR桜井駅西の山側にある。
 ここには東西8m、南北12mほどの土壇(どだん)が、付近の水田より70cmほど高く残っており、そこに花崗岩の礎石6個が残存している。礎石は各々80×100cmほどの大きさで、国分寺のものよりやや小さく、表面は平らで、柱座などの造り出しはない。
 塔跡やその付近から布目瓦(ぬのめがわら)の破片が多数出土しているので、伽藍(がらん)があったことは疑う余地がない。しかし、出土瓦のうちには白鳳時代のものもあり、聖武天皇の発願により建立された国分尼寺であるとの確証は得られていない。