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松平定行の霊廟

ページID:0137762 更新日:2026年3月3日 印刷ページ表示
中予
史跡
江戸時代
荘厳で神秘的
松平定行の霊廟の画像
松平定行の霊廟の画像
詳細情報
区分・種別
県指定
記念物
史跡
時代
江戸時代
よみ
まつだいらさだゆきのれいびょう
名称
松平定行の霊廟
所在地
松山市祝谷東町
所有者
常信寺
管理団体
松山市
指定年月日
昭和26年11月27日

解説

 松山藩松平(久松)家初代藩主、松平定行をまつる霊廟である。霊堂は本瓦葺の入母屋造(いりもやづくり)、妻入りの建物で、桁行3間、梁間3間あり、三手先出組(み て さ き で ぐ み)で唐破風(からはふ)を持つ江戸時代初期の霊廟建築を代表するものである。周囲には菱狭間(ひしざま)、連子(れんじ)の唐塀(からへい)をめぐらしている。前の拝堂は、本瓦葺の入母屋造で平入り、前面に高欄をつけ、1間の向拝がある。
 松平定行(1587~1668年)は、徳川家康の異父弟定勝(さだかつ)の子で、寛永12(1635)年に伊勢国桑名から松山15万石に封ぜられた。正保元(1644)年から4年間長崎警備を命ぜられ異国船取扱いの任に当たり、内政では、保安上の立場から天守閣の改築をしたり、領内の産業の育成に意を用いたりした。
 万治元(1658)年家督を定頼(さだより)に譲り、東野(ひがしの)の地に別荘を営み「勝山」と号して移り住んだ。