本文
松平定行の霊廟
中予
史跡
江戸時代
荘厳で神秘的
| 区分・種別 |
県指定
記念物
史跡
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| 時代 | 江戸時代
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| よみ | まつだいらさだゆきのれいびょう
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| 名称 | 松平定行の霊廟
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| 所在地 | 松山市祝谷東町
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| 所有者 | 常信寺
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| 管理団体 | 松山市
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| 指定年月日 | 昭和26年11月27日
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解説
松山藩松平(久松)家初代藩主、松平定行をまつる霊廟である。霊堂は本瓦葺の入母屋造(いりもやづくり)、妻入りの建物で、桁行3間、梁間3間あり、三手先出組(み て さ き で ぐ み)で唐破風(からはふ)を持つ江戸時代初期の霊廟建築を代表するものである。周囲には菱狭間(ひしざま)、連子(れんじ)の唐塀(からへい)をめぐらしている。前の拝堂は、本瓦葺の入母屋造で平入り、前面に高欄をつけ、1間の向拝がある。
松平定行(1587~1668年)は、徳川家康の異父弟定勝(さだかつ)の子で、寛永12(1635)年に伊勢国桑名から松山15万石に封ぜられた。正保元(1644)年から4年間長崎警備を命ぜられ異国船取扱いの任に当たり、内政では、保安上の立場から天守閣の改築をしたり、領内の産業の育成に意を用いたりした。
万治元(1658)年家督を定頼(さだより)に譲り、東野(ひがしの)の地に別荘を営み「勝山」と号して移り住んだ。
松平定行(1587~1668年)は、徳川家康の異父弟定勝(さだかつ)の子で、寛永12(1635)年に伊勢国桑名から松山15万石に封ぜられた。正保元(1644)年から4年間長崎警備を命ぜられ異国船取扱いの任に当たり、内政では、保安上の立場から天守閣の改築をしたり、領内の産業の育成に意を用いたりした。
万治元(1658)年家督を定頼(さだより)に譲り、東野(ひがしの)の地に別荘を営み「勝山」と号して移り住んだ。
所在地
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