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一遍上人の誕生地

ページID:0137760 更新日:2026年3月3日 印刷ページ表示
中予
史跡
鎌倉時代室町時代
荘厳で神秘的愛媛の偉人を知る
一遍上人の誕生地の画像
一遍上人の誕生地の画像
詳細情報
区分・種別
県指定
記念物
史跡
時代
鎌倉時代室町時代
よみ
いっぺんしょうにんのたんじょうち
名称
一遍上人の誕生地
所在地
松山市道後湯月町
所有者
宝厳寺
管理団体
指定年月日
昭和24年9月17日

解説

 延応元(1239)年、伊予の豪族河野通広の次男として道後奥谷の地に誕生した一遍は、浄土教の一派である時宗(じしゅう)の宗祖で鎌倉時代に活躍した高僧であり、遊行上人(ゆぎょうしょうにん)とも呼ばれた。幼名を松寿丸(しょうじゅまる)といい、10歳で仏門に入り随縁(ずいえん)と称したが、後に智真( ちしん)そして一遍へと改めた。はじめ大宰府の聖達(しょうだつ)、肥前国清水の華台(けだい)のもとで浄土教を学んだ。父の死後に帰国、半僧半俗の生活を送っていたが、文永11(1274)年に再出家し、信濃の善光寺や郷里での修行を経て遊行の旅に出た。摂津の四天王寺で念仏札を配る「賦算(ふ さん)」を始めた後、熊野本宮に参籠し熊野権現から神託を授かり悟りを開いた。全国各地を遊行し、「賦算」とその宗教的境地を表現した「踊り念仏」により、幅広い階層の人々を教化し、結縁(けちえん)した人数は250万人に及ぶといわれている。正応2(1289)年8月、摂津の兵庫観音堂(神戸市兵庫区真光寺)で51歳の生涯を閉じた。寳厳寺は一遍上人の誕生地といわれ、門前には元弘4(1334)年に得能通綱が建立したといわれる「一遍上人御誕生舊跡(きゅうせき)」の碑がある。平成25(2013)年8月、本堂及び庫裡が全焼したが、平成28(2016)年5月に本堂等は再建(さいこん)された。