本文
平城貝塚
南予
史跡
縄文時代
より深く学べる(ガイダンス・展示施設等隣接)
| 区分・種別 |
国指定
記念物
史跡
|
|---|---|
| 時代 | 縄文時代
|
| よみ | ひらじょうかいづか
|
| 名称 | 平城貝塚
|
| 所在地 | 愛南町御荘平城
|
| 所有者 | 愛南町ほか
|
| 管理団体 | 愛南町
|
| 指定年月日 | 令和6年10月11日
|
解説
平城貝塚(ひらじょうかいづか)は、御荘湾に流れ込む僧都川(そうずがわ)右岸の舌状(ぜつじょう)台地先端の標高 8~9mに所在する、縄文時代後期を中心とする貝塚を伴う集落遺跡 である。明治 24(1891)年に寺石正路(てらいしまさみち)によって発見 され、『東京人類學會雑誌』に報告された。その後、戦前に4回、戦後に8回の合 計12 回の発掘調査が実施されている。大正5(1916)年に長山源雄(ながやまもとお)により 行われた初めての発掘調査では、ハマグリを主とする純貝層と混土貝層が確認され、埋葬人骨も確認された。混土貝層の出土土器は、「平城式」として現在に至るまで縄文時代後期の標識とされている。その後、愛媛大学や愛南町教育委員会による継続的な調 査により、遺跡の時期や範囲、構造が明らかにされた。
遺跡の範囲は、これまでの分布調査や発掘調査成果から、縄文時代後期の平城式段階に位置づけられる5か所の地点貝塚、貯蔵穴1基、建物跡と考えられる柱穴群、配石墓(はいせきぼ)を含む土坑墓(どこうぼ)3基により構成されることが明らかになっている。そしてその範囲は、南北170m、東西88mと推定されている。
西南四国に位置し、西日本太平洋側に稀有な縄文時代後期を中心とする貝塚遺跡であり、当時の生業や墓制を考える上で重要である。
遺跡の範囲は、これまでの分布調査や発掘調査成果から、縄文時代後期の平城式段階に位置づけられる5か所の地点貝塚、貯蔵穴1基、建物跡と考えられる柱穴群、配石墓(はいせきぼ)を含む土坑墓(どこうぼ)3基により構成されることが明らかになっている。そしてその範囲は、南北170m、東西88mと推定されている。
西南四国に位置し、西日本太平洋側に稀有な縄文時代後期を中心とする貝塚遺跡であり、当時の生業や墓制を考える上で重要である。
所在地
地図の読み込みに関する問題が発生したとき<外部リンク>








