本文
八幡浜街道(夜昼峠越、大洲市)
南予
史跡
江戸時代
自然を堪能できる
| 区分・種別 |
国指定
記念物
史跡
|
|---|---|
| 時代 | 江戸時代
|
| よみ | やわたはまかいどう よるひるとうげごえ おおずし
|
| 名称 | 八幡浜街道(夜昼峠越、大洲市)
|
| 所在地 | 大洲市平野町野田
|
| 所有者 | |
| 管理団体 | 大洲市
|
| 指定年月日 | 令和5年3月20日
|
解説
大洲市と八幡浜市を繋ぐ八幡浜街道の一部で、標高約318mの夜昼峠を越える道である。参勤交代の道ではないため史料は乏しいものの、宇和島藩の伊達家文書の遍路統制に関する記述から九州方面からの巡礼者の通行実態を窺い知ることができる。文書によると明和6年(1769)の法令では、宇和島藩領への九州方面の出入口は三机湾(伊方町)に限られており、伊予北部に向かう遍路は夜昼峠の北西に位置する横野峠越え大洲藩領へ入っていた。第43番札所明石寺(西予市宇和町)や土佐方面を目指す遍路は、笠置峠を越えて卯之町(西予市)へ出るように指示されていたとされる。その後、寛政12年(1800)の法令で遍路や商人の八幡浜浦への上陸が認められるようになると、夜昼峠を越え、大洲城下を経由して第44番札所大寶寺(久万高原町菅生)へ向かう遍路道が確立したとされる。
夜昼峠越の道は、大洲市側には九州から来た遍路の墓(享和2年〈1802〉)があり、八幡浜市の旧川之内小学校横には「へんろ道」と刻まれた江戸期の道標が所在していることなどからも、この道筋が九州方面からの巡礼者と四国遍路を結ぶ道として機能していたことがわかる。道筋は旧府県道(現市道)の敷設等により改変を受けている箇所があるものの、大洲市側947.59m、八幡浜側930.94mの区間(計1,878.53m)に地道が良好に遺存する箇所や古道の在り方やその変遷を伝える箇所がある。商港八幡浜と城下町大洲を結ぶ主要道、また、九州方面からの巡礼者と四国遍路を結ぶ道として、遺存状況の良好な箇所が指定されている。
夜昼峠越の道は、大洲市側には九州から来た遍路の墓(享和2年〈1802〉)があり、八幡浜市の旧川之内小学校横には「へんろ道」と刻まれた江戸期の道標が所在していることなどからも、この道筋が九州方面からの巡礼者と四国遍路を結ぶ道として機能していたことがわかる。道筋は旧府県道(現市道)の敷設等により改変を受けている箇所があるものの、大洲市側947.59m、八幡浜側930.94mの区間(計1,878.53m)に地道が良好に遺存する箇所や古道の在り方やその変遷を伝える箇所がある。商港八幡浜と城下町大洲を結ぶ主要道、また、九州方面からの巡礼者と四国遍路を結ぶ道として、遺存状況の良好な箇所が指定されている。
所在地
地図の読み込みに関する問題が発生したとき<外部リンク>







