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内子町八日市護国伝統的建造物群保存地区
南予
江戸時代明治時代
冬におすすめフォトジェニックな場所ノスタルジックな気分にひたるファミリーで楽しめるより深く学べる(ガイダンス・展示施設等隣接)
| 区分・種別 |
国選定
重要伝統的建造物群保存地区
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|---|---|
| 時代 | 江戸時代明治時代
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| よみ | うちこちょうようかいちごこくでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく
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| 名称 | 内子町八日市護国伝統的建造物群保存地区
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| 所在地 | 内子町
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| 所有者 | 内子町
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和57年4月17日
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解説
内子は松山と大洲を結ぶ旧大洲街道に沿った町で、江戸時代には市場町として、また、肱川の支流小田川の水運を利用した物資の集散地、金毘羅参りや四国遍路などの交通の要所として栄えた。その後、木(もく)蝋(ろう)の伊予晒法(さらしほう)が内子で考案されてからは製蝋が主要産業となって発展し、江戸時代の末期から明治時代にかけて最盛期をむかえた。
その時代の建築が建ち並ぶ地区の中心部には、寛政年間(1789~1801)に主屋を建築した大村家(国指定重要文化財)、製蝋で栄えた明治時代中ころに建てられた本芳我家、上芳我家(いずれも国指定重要文化財)の大規模な主屋や土蔵などの附属屋が道路に面して建ち、町並み景観の中心的存在となっている。また、ところどころに丸太を柵状に組んだ「蝋垣(ろうがき)」なども残り、製蝋で栄えた往時の姿をよくとどめている。
この地区は地方的特色を示す伝統的な建造物が数多く残り、四国地方における重要な伝統的町並みとなっている。
その時代の建築が建ち並ぶ地区の中心部には、寛政年間(1789~1801)に主屋を建築した大村家(国指定重要文化財)、製蝋で栄えた明治時代中ころに建てられた本芳我家、上芳我家(いずれも国指定重要文化財)の大規模な主屋や土蔵などの附属屋が道路に面して建ち、町並み景観の中心的存在となっている。また、ところどころに丸太を柵状に組んだ「蝋垣(ろうがき)」なども残り、製蝋で栄えた往時の姿をよくとどめている。
この地区は地方的特色を示す伝統的な建造物が数多く残り、四国地方における重要な伝統的町並みとなっている。
所在地
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