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五反田の柱祭

ページID:0137690 更新日:2026年3月3日 印刷ページ表示
南予
現代(昭和20年(1945)から現在)
荘厳で神秘的
五反田の柱祭の画像
五反田の柱祭の画像
詳細情報
区分・種別
県指定
無形民俗文化財
時代
現代(昭和20年(1945)から現在)
よみ
ごたんだのはしらまつり
名称
五反田の柱祭
所在地
八幡浜市五反田
所有者
柱祭保存会
管理団体
指定年月日
昭和40年4月2日

解説

 五反田に金剛院という修験者がいた。戦国時代、元(もと)城主摂津豊後守と萩森城主宇都宮房綱が戦った時、金剛院は九州の旅先から急きょ立ち返り、夜中に松明(たいまつ)をともして元城に登ろうとしたが、城兵が敵と誤って射殺した。江戸時代になって五反田に悪病が流行したが、これは金剛院の崇(たた)りであると噂(うわさ)が広まり、金剛院の霊を鎮めるために柱祭が始まったと伝えられている。
 毎年8月14日の夜、五反田河原(防災上昭和50(1975)年から王子森公園)に、先端に麻木の入った漏斗状のかごを取付けた20メートル余りの柱を立て、神事が行われたあと、各地区から集まつた若者が1メートルほどの細綱に麻木を束ねて火をつけ、それを柱上のかごを狙って一斉に投げ上げる。命中して麻木かごが燃えあがって行事が終わる。夜空に火玉が乱舞する勇壮な光景と、競争が伴う投げ松明の火祭りは、伝承奇習の行事として親しまれている。