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伊佐爾波神社算額

ページID:0137679 更新日:2026年3月3日 印刷ページ表示
中予
江戸時代明治時代昭和時代(昭和20年(1945)まで)
伊佐爾波神社算額の画像
伊佐爾波神社算額の画像
詳細情報
区分・種別
県指定
有形民俗文化財
時代
江戸時代明治時代昭和時代(昭和20年(1945)まで)
よみ
いさにわじんじゃさんがく にじゅうにめん
名称
伊佐爾波神社算額 22面
所在地
松山市桜谷町
所有者
伊佐爾波神社
管理団体
指定年月日
平成17年12月27日

解説

 伊佐爾波神社は、近世にはもっぱら湯月八幡宮(ゆづきはちまんぐう)と称し、現存社殿は松山藩松平家3代の定長による建立であるなど藩主の祈願社であり、同時に松山城下の南部および東部地域の氏神でもあった。
当社には22面の算額が現存しており、そのうち最古のものは江戸の関流(関孝和(せきたかかず)(1642~1708)が創始)和算家・伊佐爾波神社の門人であった大西佐兵衛義全(ぎぜん)が享和3(1803)年5月に奉納したものである。丸山良玄は、全国の算額による掲示問題を集めた出版本『神壁算法(しんぺきさんぽう)』の編者で、当代一の数学者として知られる藤田貞資(さだすけ)の門人に当たる。また、『神壁算法』の続編である『続神壁算法』(藤田嘉言(よしとき)(貞資の子)編・文化4年(1807年))には本算額の算題が収録されており、加えて同書に所収されるもので現存する唯一の算額とされている。全国的に見ても比較的古い時期の算額の一つである。
 以後、この大西佐兵衛一門で関流の和算家による当社への奉納が明治前期まで続き、中村正教の昭和12(1937)年奉納額を含めて、23名が奉納した22面が現存している。江戸期のものが17面、明治期が4面、昭和期が1面で、いずれも長らく回廊に掲げられていたため、画面の保存状態は必ずしも良くはないが、原形は保たれている。なお、現在は収蔵庫に納められており一般には公開されていない。