本文
善応寺文書
中予
書跡・典籍・古文書
鎌倉時代南北朝時代室町時代安土・桃山時代江戸時代
| 区分・種別 |
県指定
有形文化財
書跡・典籍・古文書
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|---|---|
| 時代 | 鎌倉時代南北朝時代室町時代安土・桃山時代江戸時代
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| よみ | ぜんおうじもんじょ ごかん
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| 名称 | 善応寺文書 5巻
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| 所在地 | 松山市善応寺
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| 所有者 | 善応寺
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和30年11月4日
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解説
建武年間(1334~1338年)、豪族河野通盛はその本拠を河野郷から道後湯築城に移した。この時通盛は、居館であった土居館を京都東福寺に模して改造し、南山和尚の門下であった正堂士顕(しょうどうしけん)を開山として善応寺を創建した。善応寺は広壮な伽藍を誇ったが、その後河野氏と盛衰をともにすることになった。
この文書は、鎌倉時代末期から江戸時代初期にかけての古文書69通を、巻子本5巻に分類装丁したものである。その内容は、まず善応寺の所領あるいは寺領寄進に関する文書、つぎに同寺の住持に関するもの、このほか、下知状、禁制、掟書等が多数あり、足利義詮御判御教(みぎょう)書(しょ)(案)、国司庁宣、西園寺大納言家の寄進状などを含んでいる。室町時代のものが主体であるが、いずれも善応寺を中心とした河野家の動静を物語るもので、中世伊予を領した河野氏研究にとって重要な史料である。
この文書は、鎌倉時代末期から江戸時代初期にかけての古文書69通を、巻子本5巻に分類装丁したものである。その内容は、まず善応寺の所領あるいは寺領寄進に関する文書、つぎに同寺の住持に関するもの、このほか、下知状、禁制、掟書等が多数あり、足利義詮御判御教(みぎょう)書(しょ)(案)、国司庁宣、西園寺大納言家の寄進状などを含んでいる。室町時代のものが主体であるが、いずれも善応寺を中心とした河野家の動静を物語るもので、中世伊予を領した河野氏研究にとって重要な史料である。
所在地
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