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刀(銘 慶長九年二月吉日信濃守国広作、依賀茂県主保経所望打之)

ページID:0137589 更新日:2026年3月3日 印刷ページ表示
東予
工芸品
江戸時代
アートや工芸の美に触れるより深く学べる(ガイダンス・展示施設等隣接)
刀(銘 慶長九年二月吉日信濃守国広作、依賀茂県主保経所望打之)の画像
刀(銘 慶長九年二月吉日信濃守国広作、依賀茂県主保経所望打之)の画像
詳細情報
区分・種別
国指定
重要文化財
工芸品
時代
江戸時代
よみ
かたな めい けいちょうくねんにがつきちじつ しなののかみくにひろさく かもあがたぬしやすつねのしょもうによりこれをうつ
名称
刀 1口 銘 慶長九年二月吉日信濃守国広作 依賀茂県主保経所望打之
所在地
今治市大三島町宮浦
所有者
大山祇神社
管理団体
指定年月日
昭和3年4月4日

解説

 刃長71.5センチメートル、鍛(きた)えは板目肌で地沸(じにえ)がよくついている。
 国広は「新刀」の開祖と称せられ、日向の刀工であった父同様伊東家に仕えていたが、天正5(1577)年、同家が没落してからは京へ上ったといわれる。諸国巡礼のかたわら鍛刀を続けていたが、慶長初期(1596~)からは、京都の一条堀川に定住して多くの門弟を養成した。
 豊臣秀頼(とよとみひでより)の依頼を受けて作刀したものが京都北野神社や高野山に奉納されている。この刀は明治になって伊藤博文(いとうひろぶみ)が入手し、大山祇神社に奉納したものである。