本文
木造聖観音菩薩立像(光徳院)
中予
彫刻
平安時代
アートや工芸の美に触れる
| 区分・種別 |
県指定
有形文化財
彫刻
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|---|---|
| 時代 | 平安時代
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| よみ | もくぞうしょうかんのんぼさつりゅうぞう いっく
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| 名称 | 木造聖観音菩薩立像 1躯
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| 所在地 | 松山市高田
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| 所有者 | 光徳院
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和38年5月31日
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解説
本尊の聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)立像(りゅうぞう)は、像高165.5センチメートルの一木造で各部に後補の跡がみられるが、大ぶりの髻(もとどり)や翻波(ほんぱ)式の刀法など古風な技法を示している。現在は十一面観音の姿となっているが、髻の形からして聖観音として造立されたものであろう。製作は10世紀と思われる。
光徳院は、高縄山の西麓にあり、密護山護持院神護寺と称した。嘉元元(1303)年、後醍醐天皇勅願所(ちょくがんしょ)として尊龍上人が再興し、地方祈祷(きとう)の総本山でもあった。
大永4(1524)年の神途の戦いの時、堂宇が全焼し、阿弥陀如来とともに辛うじて搬出されたと伝えられている。天和2(1682)年時の藩主松平隠岐守定直が、家老豊島茂太夫に命じて現在地に再興させたことが棟札に残っており、その後、恵日山歓喜寺光徳院と改称した。
光徳院は、高縄山の西麓にあり、密護山護持院神護寺と称した。嘉元元(1303)年、後醍醐天皇勅願所(ちょくがんしょ)として尊龍上人が再興し、地方祈祷(きとう)の総本山でもあった。
大永4(1524)年の神途の戦いの時、堂宇が全焼し、阿弥陀如来とともに辛うじて搬出されたと伝えられている。天和2(1682)年時の藩主松平隠岐守定直が、家老豊島茂太夫に命じて現在地に再興させたことが棟札に残っており、その後、恵日山歓喜寺光徳院と改称した。
所在地
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