本文
木造阿弥陀如来坐像(八坂寺)
中予
彫刻
鎌倉時代
アートや工芸の美に触れる
| 区分・種別 |
県指定
有形文化財
彫刻
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|---|---|
| 時代 | 鎌倉時代
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| よみ | もくぞう あみだにょらい ざぞう いっく
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| 名称 | 木造阿弥陀如来坐像 1躯
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| 所在地 | 松山市浄瑠璃町
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| 所有者 | 八坂寺
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和40年4月2日
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解説
阿弥陀如来坐像は、像高80cmの寄木造である。玉眼を嵌入し、表面仕上げは現状肉身を漆箔、著衣を古色とする。第一・第二指を相捻じた来迎印を結び蓮華座上に結跏趺坐する。
低くなだらかな肉髻や中央を下げた髪際線、量感を強調しすぎない引き締まった体躯、深く複雑に彫りだされた著衣や右足首辺りのV字形の衣文線、腹前から左肩にかけた衲衣の波打つ衣皺などは鎌倉時代の慶派仏師による作例によく見出される形式で、像底に棚板を刳り残すいわゆる上げ底式内刳りは、13世紀の慶派作例に採用されていく構造技法であることも注目される。
本像は比較的柔らかで充実した肉取りと枝分かれする襞を交えた自由闊達な衣文をみることができ、13世紀頃の慶派仏師作例との共通性が顕著である。荒く大粒に彫り出された螺髪がこの頃の慶派作例との径庭を窺わせるが、修理によるものと考えられる。
また、本像の台座天板には修理に関する銘文が確認され、寛永6年(1629)法印実賢代に大阪の清水隼人正春次及び蓮慶によって台座が新造され、さらに寛政11年(1799)法印宥辨代に世話人及び庄屋達によって再興が発願されたといい、高井村や荏原町村、浄瑠璃寺村、窪野村など、近隣の庄屋衆あるいは代表者とみられる人物名が記される点でも当寺の信仰圏を窺ううえで注目されよう。
低くなだらかな肉髻や中央を下げた髪際線、量感を強調しすぎない引き締まった体躯、深く複雑に彫りだされた著衣や右足首辺りのV字形の衣文線、腹前から左肩にかけた衲衣の波打つ衣皺などは鎌倉時代の慶派仏師による作例によく見出される形式で、像底に棚板を刳り残すいわゆる上げ底式内刳りは、13世紀の慶派作例に採用されていく構造技法であることも注目される。
本像は比較的柔らかで充実した肉取りと枝分かれする襞を交えた自由闊達な衣文をみることができ、13世紀頃の慶派仏師作例との共通性が顕著である。荒く大粒に彫り出された螺髪がこの頃の慶派作例との径庭を窺わせるが、修理によるものと考えられる。
また、本像の台座天板には修理に関する銘文が確認され、寛永6年(1629)法印実賢代に大阪の清水隼人正春次及び蓮慶によって台座が新造され、さらに寛政11年(1799)法印宥辨代に世話人及び庄屋達によって再興が発願されたといい、高井村や荏原町村、浄瑠璃寺村、窪野村など、近隣の庄屋衆あるいは代表者とみられる人物名が記される点でも当寺の信仰圏を窺ううえで注目されよう。
所在地
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