本文
石手寺護摩堂
中予
建造物
南北朝時代
荘厳で神秘的
| 区分・種別 |
国指定
重要文化財
建造物
|
|---|---|
| 時代 | 南北朝時代
|
| よみ | いしてじごまどう いっとう つけたり むなふだにまい
|
| 名称 | 石手寺護摩堂 1棟 附 棟札2枚
|
| 所在地 | 松山市石手2丁目
|
| 所有者 | 石手寺
|
| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和28年3月31日
|
解説
護摩堂は、三重塔(重要文化財)の東に位置する。桁行3間、梁間3間、一重、宝形造、銅板葺である。様式は和様の簡素な建物で、組物に舟肘木(ふなひじき)を用い、柱には面取り角柱が使われ、垂木は一軒大疎垂木(ひとのきおおまばらたるき)となっている。
建築の構造、表現の技法、全体の容姿からみて、室町時代前期のものと推定されている。江戸時代には大師堂と称せられていた。
昭和33(1958)年に解体修理が完成し、回り縁をめぐらし、本瓦葺屋根を檜皮葺(ひわだぶき)型銅板葺(元来は檜皮葺)に改めて往時の姿になった。
内部の床はすべて拭板張りで、護摩木を投じて修法するための火炉は設けられてなく、中央奥に来迎(らいごう)柱・来迎板壁を備えて須弥壇(しゅみだん)を置くが、転用材を用いるなど仮設的である。
なお、木造不動明王及び二童子立像(県指定有形文化財)が安置されている。
建築の構造、表現の技法、全体の容姿からみて、室町時代前期のものと推定されている。江戸時代には大師堂と称せられていた。
昭和33(1958)年に解体修理が完成し、回り縁をめぐらし、本瓦葺屋根を檜皮葺(ひわだぶき)型銅板葺(元来は檜皮葺)に改めて往時の姿になった。
内部の床はすべて拭板張りで、護摩木を投じて修法するための火炉は設けられてなく、中央奥に来迎(らいごう)柱・来迎板壁を備えて須弥壇(しゅみだん)を置くが、転用材を用いるなど仮設的である。
なお、木造不動明王及び二童子立像(県指定有形文化財)が安置されている。
所在地
地図の読み込みに関する問題が発生したとき<外部リンク>







