本文
甘藷地蔵
東予
史跡
江戸時代
愛媛の偉人を知る
| 区分・種別 |
県指定
記念物
史跡
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|---|---|
| 時代 | 江戸時代
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| よみ | いもじぞう
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| 名称 | 甘藷地蔵
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| 所在地 | 今治市上浦町瀬戸
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| 所有者 | 向雲寺
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和23年10月28日
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解説
向雲寺の境内には、甘藷地蔵を安置する小さなお堂と拝殿がある。
甘藷地蔵は江戸時代初期、伊予国に初めて甘藷を持ち帰り栽培を教えたという下見(あさみ)吉十郎(きちじゅうろう)をまつるもので、高さ50cmほどの石地蔵である。地蔵の台石には「下見吉十郎」、「宝暦五乙亥年八月朔日」の文字が刻されている。
下見吉十郎は大三島瀬戸村の名家の出であったが、4子の夭折(ようせつ)に無常を感じて六部行者(ろくぶぎょうじゃ)になり諸国を巡拝した。正徳元(1711)年、たまたま薩摩国日置郡(ひおきぐん)伊集院村(いじゅういんむら)に滞在した吉十郎は、甘藷が飢饉(ききん)に耐える有用な食物であることを知り、秘かに郷里へ持ち帰って村人に栽培法を教え、凶荒に備えさせたという。享保の飢饉、天保の飢饉にも島々では餓死者は出なかったと云われている。
吉十郎は宝暦5(1755)年8月、82歳で没し向雲寺に葬られた。現在も、彼の功績をたたえて甘藷地蔵を祀り、毎年供養祭を営んでいる。
甘藷地蔵は江戸時代初期、伊予国に初めて甘藷を持ち帰り栽培を教えたという下見(あさみ)吉十郎(きちじゅうろう)をまつるもので、高さ50cmほどの石地蔵である。地蔵の台石には「下見吉十郎」、「宝暦五乙亥年八月朔日」の文字が刻されている。
下見吉十郎は大三島瀬戸村の名家の出であったが、4子の夭折(ようせつ)に無常を感じて六部行者(ろくぶぎょうじゃ)になり諸国を巡拝した。正徳元(1711)年、たまたま薩摩国日置郡(ひおきぐん)伊集院村(いじゅういんむら)に滞在した吉十郎は、甘藷が飢饉(ききん)に耐える有用な食物であることを知り、秘かに郷里へ持ち帰って村人に栽培法を教え、凶荒に備えさせたという。享保の飢饉、天保の飢饉にも島々では餓死者は出なかったと云われている。
吉十郎は宝暦5(1755)年8月、82歳で没し向雲寺に葬られた。現在も、彼の功績をたたえて甘藷地蔵を祀り、毎年供養祭を営んでいる。
所在地
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