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大洲城跡

ページID:0137780 更新日:2026年3月3日 印刷ページ表示
南予
史跡
江戸時代
ファミリーで楽しめるより深く学べる(ガイダンス・展示施設等隣接)
大洲城跡の画像1
大洲城跡の画像2
大洲城跡の画像3
大洲城跡の画像1
大洲城跡の画像2
大洲城跡の画像3
詳細情報
区分・種別
県指定
記念物
史跡
時代
江戸時代
よみ
おおずじょうあと
名称
大洲城跡
所在地
大洲市大洲
所有者
大洲市
管理団体
指定年月日
昭和28年2月13日

解説

 大洲城は、東に肱川、西に久米川が流れる標高約40mの小丘に築造された平山城で、地蔵ヶ岳(じぞうがたけ)城、亀ケ岡(かめがおか)城、大津城などと呼ばれた。
 元弘年間(1331~1334)以来、宇都宮、戸田、藤堂、脇坂、加藤の諸氏が城主となった。
 元和3(1617)年、加藤貞泰(さだやす)が大津(大洲)6万石の領主として入府し、以後、廃藩まで加藤家13代の居城となった。城は丘陵頂部を本丸、その下段を二の丸とし、西と南には内堀を設ける。その外側が三の丸で周囲には外堀があった。城郭の規模は東西約300m、南北約430mあり、天守のほかに20棟近い櫓があった。現在、城跡には本丸を中心とする石垣と櫓4棟(いずれも重要文化財)、内堀の一部が遺構として残り、このうち本丸と二の丸の一部を史跡に指定している。
 平成16(2004)年、本丸に4層4階の天守を、発掘結果や古写真、江戸期の模型を参考にしながら忠実に復元した。