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今治城跡

ページID:0137772 更新日:2026年3月3日 印刷ページ表示
東予
史跡
江戸時代
春におすすめファミリーで楽しめるより深く学べる(ガイダンス・展示施設等隣接)
今治城跡の画像1
今治城跡の画像2
今治城跡の画像1
今治城跡の画像2
詳細情報
区分・種別
県指定
記念物
史跡
時代
江戸時代
よみ
いまばりじょうあと
名称
今治城跡
所在地
今治市通町3丁目
所有者
今治市ほか
管理団体
指定年月日
昭和28年10月9日

解説

 今治城は、蒼社川(そうじゃがわ)の三角州左岸、標高13mの地に築造された平城で、別名を吹揚城(ふきあげじょう)とよび、藤堂高虎によって築城された。築城奉行を渡辺勘兵衛、普請奉行を木山(きやま)六之丞(ろくのじょう)とし、慶長7(1602)年から同13(1608)年までの歳月を要した。かつての城域(じょういき)は一辺約600mの方形で、中央部に本丸・二の丸・三の丸を構え、櫓数は23、周囲に幅約50mの内堀、さらに中堀、外堀をめぐらせ海水を引き入れていた。石垣(いしがき)は自然石をそのまま積む、いわゆる野面(のづら)積みの手法で勾配(こうばい)は直線的である。石垣下部の水際には幅4~5mの犬走りが設けられている。現存するのは内堀と本丸・二の丸・三の丸の石垣のみである。藤堂氏が転封後松山藩主松平定行の弟の定房が入府、以後明治維新まで10代続いた。
 なお、現在の天守は昭和55(1980)年に市制60周年を記念して建造されたものである。また、平成19(2007)年に写真や発掘調査成果に基いて鉄御門(くろがねごもん)が復元されている。