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松山城跡

ページID:0137719 更新日:2026年3月3日 印刷ページ表示
中予
史跡
江戸時代
春におすすめフォトジェニックな場所ファミリーで楽しめるより深く学べる(ガイダンス・展示施設等隣接)
松山城跡の画像1
松山城跡の画像2
松山城跡の画像1
松山城跡の画像2
詳細情報
区分・種別
国指定
記念物
史跡
時代
江戸時代
よみ
まつやまじょうあと
名称
松山城跡
所在地
松山市堀之内
所有者
松山市ほか
管理団体
松山市
指定年月日
昭和27年3月29日

解説

 松山城は標高132m、周囲約4kmの独立丘陵「勝山(かつやま)」を中心に築かれた平山城である。築城は、伊予正(まさ)木(き)(松前)の城主加藤嘉明(かとうよしあき(よしあきら))が、20万石の居城として勝山を選び、慶長7(1602)年、普請奉行(ふしんぶぎょう)足立重信に命じて着工させた。足立はまず、湯山川(ゆやまがわ)(石手川(いしてがわ))の流路を変えて城下を整備するとともに、山頂を削って本丸を設け、その西山腹を二の丸、その西麓の平地を三の丸として外周に堀を築いた。
 慶長10(1605)年に本丸・三の丸が完成したといわれ、二の丸邸の完成とともに嘉明は入居したが、完成間近の寛永4(1627)年会津若松に転封になった。わずかに残った工事は次の蒲生忠知(がもうただとも)によって同年完成された。
 現在史跡に指定されているのは本丸・二の丸・三の丸跡で、本丸跡には天守をはじめとする21棟の建造物が国の重要文化財に指定されている。また、二の丸跡には、平成4(1992)年4月に「松山城二之丸史跡庭園」が整備された。