本文
松山城跡
中予
史跡
江戸時代
春におすすめフォトジェニックな場所ファミリーで楽しめるより深く学べる(ガイダンス・展示施設等隣接)
| 区分・種別 |
国指定
記念物
史跡
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|---|---|
| 時代 | 江戸時代
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| よみ | まつやまじょうあと
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| 名称 | 松山城跡
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| 所在地 | 松山市堀之内
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| 所有者 | 松山市ほか
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| 管理団体 | 松山市
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| 指定年月日 | 昭和27年3月29日
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解説
松山城は標高132m、周囲約4kmの独立丘陵「勝山(かつやま)」を中心に築かれた平山城である。築城は、伊予正(まさ)木(き)(松前)の城主加藤嘉明(かとうよしあき(よしあきら))が、20万石の居城として勝山を選び、慶長7(1602)年、普請奉行(ふしんぶぎょう)足立重信に命じて着工させた。足立はまず、湯山川(ゆやまがわ)(石手川(いしてがわ))の流路を変えて城下を整備するとともに、山頂を削って本丸を設け、その西山腹を二の丸、その西麓の平地を三の丸として外周に堀を築いた。
慶長10(1605)年に本丸・三の丸が完成したといわれ、二の丸邸の完成とともに嘉明は入居したが、完成間近の寛永4(1627)年会津若松に転封になった。わずかに残った工事は次の蒲生忠知(がもうただとも)によって同年完成された。
現在史跡に指定されているのは本丸・二の丸・三の丸跡で、本丸跡には天守をはじめとする21棟の建造物が国の重要文化財に指定されている。また、二の丸跡には、平成4(1992)年4月に「松山城二之丸史跡庭園」が整備された。
慶長10(1605)年に本丸・三の丸が完成したといわれ、二の丸邸の完成とともに嘉明は入居したが、完成間近の寛永4(1627)年会津若松に転封になった。わずかに残った工事は次の蒲生忠知(がもうただとも)によって同年完成された。
現在史跡に指定されているのは本丸・二の丸・三の丸跡で、本丸跡には天守をはじめとする21棟の建造物が国の重要文化財に指定されている。また、二の丸跡には、平成4(1992)年4月に「松山城二之丸史跡庭園」が整備された。
所在地
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