本文
八幡浜街道(笠置峠越、八幡浜市)
南予
史跡
江戸時代
自然を堪能できる
| 区分・種別 |
国指定
記念物
史跡
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|---|---|
| 時代 | 江戸時代
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| よみ | やわたはまかいどう かさぎとうげごえ やわたはまし
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| 名称 | 八幡浜街道(笠置峠越、八幡浜市)
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| 所在地 | 八幡浜市釜倉
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| 所有者 | |
| 管理団体 | 八幡浜市
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| 指定年月日 | 平成29年10月13日
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解説
西予市宇和町卯之町と八幡浜を繋ぐ八幡浜街道の一部で、西予市宇和町岩木と八幡浜市釜倉の間にある標高397mの笠置峠を越える道である。南麓の安養寺が所蔵する大般若経奥書から、室町時代には峠を越えての交流があったことが窺える。また、宇和島藩主伊達家の記録や小原村(西予市宇和町小原)の庄屋清家家日記から、3代藩主宗贇が元禄14年(1701)にこの道を使って下向しており、以後、歴代の藩主が参勤交代に利用する道のひとつであったことがわかる。
峠に立つ地蔵尊(寛政6年〈1794〉造立)の台座には、「あげいし」(四国八十八ケ所霊場第43番札所明石寺、西予市宇和町所在)などへの道程が追刻されており、西予市側の道端に残る遍路墓の存在からも、この道筋が九州方面からの巡礼者と四国遍路を結ぶ道として機能していたことがわかる。道筋は林道の敷設により改変されている箇所があるものの、西予市側約0.5km、八幡浜市側約1.1kmの区間に、道幅が1~2m程の地道が良好に遺存する箇所がある。参勤交代の道として、また、九州方面からの巡礼者と四国遍路を結ぶ道として、遺存状況の良好な箇所が指定されている。
峠に立つ地蔵尊(寛政6年〈1794〉造立)の台座には、「あげいし」(四国八十八ケ所霊場第43番札所明石寺、西予市宇和町所在)などへの道程が追刻されており、西予市側の道端に残る遍路墓の存在からも、この道筋が九州方面からの巡礼者と四国遍路を結ぶ道として機能していたことがわかる。道筋は林道の敷設により改変されている箇所があるものの、西予市側約0.5km、八幡浜市側約1.1kmの区間に、道幅が1~2m程の地道が良好に遺存する箇所がある。参勤交代の道として、また、九州方面からの巡礼者と四国遍路を結ぶ道として、遺存状況の良好な箇所が指定されている。
所在地
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