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伊予遍路道(繁多寺境内)
中予
史跡
鎌倉時代室町時代江戸時代
フォトジェニックな場所荘厳で神秘的
| 区分・種別 |
国指定
記念物
史跡
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|---|---|
| 時代 | 鎌倉時代室町時代江戸時代
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| よみ | いよへんろみち はんたじけいだい
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| 名称 | 伊予遍路道(繁多寺境内)
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| 所在地 | 松山市畑寺町
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| 所有者 | 繁多寺
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 令和6年10月11日
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解説
第50番札所繁多寺は、松山市畑寺町に所在する真言宗豊山派の寺院で、古代以来の歴史を有し、中世には天皇家の菩提寺である京都・泉涌寺との関係を深めるとともに、時宗の開祖一遍上人(1239~1289)が参籠するなど伊予の有力な寺院であった。近世前期には四国遍路の第50番札所として位置付けられた。
本堂、大師堂等は近代以降の再建であるが、境内地の移転や大きな改変はなく、近世札所の雰囲気を今に伝えている。また、境内から南に約500mの所に中世繁多寺の住持聞(もん)月(げつ)上人(しょうにん)(1288年寂)の供養塔である宝篋印塔が建つ聖人塚があり、この地も繁多寺の歴史を語る上で欠かせない重要な場所となっている。
本堂、大師堂等は近代以降の再建であるが、境内地の移転や大きな改変はなく、近世札所の雰囲気を今に伝えている。また、境内から南に約500mの所に中世繁多寺の住持聞(もん)月(げつ)上人(しょうにん)(1288年寂)の供養塔である宝篋印塔が建つ聖人塚があり、この地も繁多寺の歴史を語る上で欠かせない重要な場所となっている。
所在地
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