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等妙寺旧境内
南予
史跡
鎌倉時代南北朝時代室町時代安土・桃山時代
自然を堪能できるファミリーで楽しめるより深く学べる(ガイダンス・展示施設等隣接)
| 区分・種別 |
国指定
記念物
史跡
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|---|---|
| 時代 | 鎌倉時代南北朝時代室町時代安土・桃山時代
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| よみ | とうみょうじきゅうけいだい
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| 名称 | 等妙寺旧境内
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| 所在地 | 鬼北町大字芝
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| 所有者 | 鬼北町、民有地
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 平成20年3月28日
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解説
等妙寺旧境内は、南予地方を代表する山系である鬼ヶ城連山の北麓の谷に開かれた中世山岳寺院の遺跡である。史跡指定地は、階段状に平坦部を切り開いた伽藍(がらん)中心域、それらをつなぐ参道、尾根筋の道などからなる。また、史跡の周辺には行場(ぎょうば)とみられる山岳・滝・洞窟などが点在する。平成6(1994)年度から調査が行われ、石積遺構や集石墓の状況が明らかになるとともに、礎石建物・鍛冶遺構・方形基壇状(きだんじょう)遺構などが検出された。出土遺物は土師器・備前焼・輸入陶磁器などで、なかでも褐釉龍紋壺(かつゆうりゅうもんつぼ)は全国的にも出土例が少ないものである。
文献によれば、等妙寺は元応2(1320)年に理玉(りぎょく)和尚によって開かれ、京都法勝寺(ほっしょうじ)を再興した円観(恵鎮)のもと、天台系律宗の拠点寺院となり、南北朝期から戦国時代にかけて宇和荘内で数多くの末寺を従えて勢力を誇ったが、天正16(1588)年の火災により衰退したとされる。
等妙寺は天台系律宗寺院としての遺物・遺構等が良好に残る寺院であり、鎌倉時代から南北朝時代の戒律復興運動の具体的な姿を解明するうえで貴重な遺跡である。
文献によれば、等妙寺は元応2(1320)年に理玉(りぎょく)和尚によって開かれ、京都法勝寺(ほっしょうじ)を再興した円観(恵鎮)のもと、天台系律宗の拠点寺院となり、南北朝期から戦国時代にかけて宇和荘内で数多くの末寺を従えて勢力を誇ったが、天正16(1588)年の火災により衰退したとされる。
等妙寺は天台系律宗寺院としての遺物・遺構等が良好に残る寺院であり、鎌倉時代から南北朝時代の戒律復興運動の具体的な姿を解明するうえで貴重な遺跡である。
所在地
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