本文
川瀬歌舞伎
中予
現代(昭和20年(1945)から現在)
ファミリーで楽しめる
| 区分・種別 |
県指定
無形民俗文化財
|
|---|---|
| 時代 | 現代(昭和20年(1945)から現在)
|
| よみ | かわせかぶき
|
| 名称 | 川瀬歌舞伎
|
| 所在地 | 久万高原町直瀬
|
| 所有者 | 川瀬歌舞伎保存会
|
| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 平成12年4月18日
|
解説
県内に伝承される唯一の農村歌舞伎である。
起源については諸説あるが、最も有力なものは次のとおりである。
この地の近くに四国八十八箇所霊場第45番札所海岸山岩屋寺がある。そこを訪れる巡礼者が下直瀬にさしかかった時、病に倒れ、土地の人々は親切に世話をした。やがて巡礼者の病も回復したが、彼はこの地が気に入り永住することになった。そして恩のある周囲の人々に人形芝居を教えた。これが次第に発展し、やがて歌舞伎となり、安政4(1857)年には「三番叟(さんばそう)」等が上演されるようになった。
大正8(1919)年、地域の若者や芝居好きの人たちが集まり、浪曲芝居を始めたのが元で「敷島会」が結成された。その頃、敷島会のリーダー格であった山内恒太郎らが下直瀬の出身の歌舞伎俳優、豊島屋豊次郎らの手ほどきを受けたのがきっかけで、敷島会で歌舞伎を始めることになった。これが、現在の川瀬歌舞伎の始まりとされている。
川瀬歌舞伎は戦時中、戦後には衰退したが、昭和36年(1961)2月に下直瀬公民館を中心に川瀬歌舞伎保存会を組織、再興され、現在まで伝承されている。
起源については諸説あるが、最も有力なものは次のとおりである。
この地の近くに四国八十八箇所霊場第45番札所海岸山岩屋寺がある。そこを訪れる巡礼者が下直瀬にさしかかった時、病に倒れ、土地の人々は親切に世話をした。やがて巡礼者の病も回復したが、彼はこの地が気に入り永住することになった。そして恩のある周囲の人々に人形芝居を教えた。これが次第に発展し、やがて歌舞伎となり、安政4(1857)年には「三番叟(さんばそう)」等が上演されるようになった。
大正8(1919)年、地域の若者や芝居好きの人たちが集まり、浪曲芝居を始めたのが元で「敷島会」が結成された。その頃、敷島会のリーダー格であった山内恒太郎らが下直瀬の出身の歌舞伎俳優、豊島屋豊次郎らの手ほどきを受けたのがきっかけで、敷島会で歌舞伎を始めることになった。これが、現在の川瀬歌舞伎の始まりとされている。
川瀬歌舞伎は戦時中、戦後には衰退したが、昭和36年(1961)2月に下直瀬公民館を中心に川瀬歌舞伎保存会を組織、再興され、現在まで伝承されている。
所在地
地図の読み込みに関する問題が発生したとき<外部リンク>






