本文
目黒山形関係資料
南予
歴史資料
江戸時代
| 区分・種別 |
国指定
重要文化財
歴史資料
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|---|---|
| 時代 | 江戸時代
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| よみ | めぐろやまがたかんけいしりょう
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| 名称 | 目黒山形関係資料
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| 所在地 | 松野町大字目黒648-2
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| 所有者 | 建徳寺
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 平成19年6月8日
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解説
目黒山形は、伊予国宇和郡目黒村(吉田領・現松野町目黒)と同郡二郎丸村(宇和島領・現松野町豊岡)の山境争いの中で、目黒村が幕府評定所に提出の資料の一つとして寛文5(1665)年に作製したものである。また、関係資料である敷絵図(し き え ず)・幕府裁許絵図(ば く ふ さい きょ え ず)・建徳寺文書が一括して保管されている。
山形は敷絵図と一体、縦190.0cm・横262.1cm、材に銀杏を使用しているといわれ、6つの部分から構成。裏面をくり貫き軽量化を図っている。接合面には突起物があり、確実に密着する工夫が凝らされている。材の表面には、胡粉(ごふん)を塗り彩色面を作製しその上から彩色し、胡粉による書込・貼札がある。裏面には管理・制作のための墨書の番号が見られ、取っ手や穴も掘られており、割れ防止のかすがいなどもある。縮尺は分縮帳、模型上の計測より5900分の1と考えられる。
裁許絵図は、境界を書き込んだ縮図とその裏に記述された裁許状のことで、幕府が寛文5(1665)年に裁許を申し渡したとおりに、目黒村・二郎丸村に渡したものだが、現在は目黒村の分しか残っていない。この絵図は大切に扱われ、その後の山境争いにおいても効力を持ち続けた。
関係資料は、文書・記録類207点と絵図で構成された210点で、山境争い等の資料原本も多く残っている。
山形は敷絵図と一体、縦190.0cm・横262.1cm、材に銀杏を使用しているといわれ、6つの部分から構成。裏面をくり貫き軽量化を図っている。接合面には突起物があり、確実に密着する工夫が凝らされている。材の表面には、胡粉(ごふん)を塗り彩色面を作製しその上から彩色し、胡粉による書込・貼札がある。裏面には管理・制作のための墨書の番号が見られ、取っ手や穴も掘られており、割れ防止のかすがいなどもある。縮尺は分縮帳、模型上の計測より5900分の1と考えられる。
裁許絵図は、境界を書き込んだ縮図とその裏に記述された裁許状のことで、幕府が寛文5(1665)年に裁許を申し渡したとおりに、目黒村・二郎丸村に渡したものだが、現在は目黒村の分しか残っていない。この絵図は大切に扱われ、その後の山境争いにおいても効力を持ち続けた。
関係資料は、文書・記録類207点と絵図で構成された210点で、山境争い等の資料原本も多く残っている。
所在地
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