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伊予国奈良原山経塚出土品

ページID:0137656 更新日:2026年3月3日 印刷ページ表示
東予
考古資料
平安時代
荘厳で神秘的
伊予国奈良原山経塚出土品の画像1
伊予国奈良原山経塚出土品の画像2
伊予国奈良原山経塚出土品の画像3
伊予国奈良原山経塚出土品の画像1
伊予国奈良原山経塚出土品の画像2
伊予国奈良原山経塚出土品の画像3
詳細情報
区分・種別
国指定
国宝
考古資料
時代
平安時代
よみ
いよのくにならはらやまきょうづかしゅつどひん
名称
伊予国奈良原山経塚出土品
所在地
今治市玉川町大野
所有者
奈良原神社
管理団体
今治市
指定年月日
昭和31年6月28日

解説

・銅宝塔 1基 ・青白磁盒子(ごうす) 2口 ・鰐口(わにぐち) 1口 ・銅経筒 1口 ・金銅笄(こんどうこうがい) 1本 ・銅銭 1括 ・銅鏡 5面(内残片2面) ・刀子(とうす) 1括 ・甕(かめ)残欠共 3口分 ・銅鈴5口  ・椀形土器 1口 ・檜扇(ひおうぎ) 2柄 (内残欠1柄) ・鉄鈴 1口  その他伴(はん)出物一切 42点
 この出土品の出た経塚は、標高1,042mの奈良原山(楢原(ならはら)山)頂に営まれたもので、接して奈良原神社の社殿があった。現在、塚上には「建徳二辛亥」(1371)年の銘文がある石製宝塔が1基置かれているが、発掘当時は封土の東側に安置されていた。
 遺物は昭和9(1934)年8月に発掘されたものであるが、発見者の話によると、経塚の表面は石でおおわれていて、敷石の上に1つは銅経筒(盒子1口入り)を入れた甕(かめ)、その外側に桜菊双雀鏡・金銅笄・完存の檜扇があり、その他の遺物は刀子(とうす)以外すべて宝塔をおおっていた合口の2つの甕から発見された。
 銅宝塔(全高71.5㎝、基壇は近年の補作で除く、相輪(そうりん)高さ40.3㎝、塔身高さ25.3㎝、塔身径17.3㎝)は、塔身・屋根・相輪が完存している。塔身は鋳銅製で下部に木製の反花(かえりばな)が付され、軸部の前面には種子曼荼羅(まんだら)、背面中央に大日法身真言、その左右に大日報身真言が線刻されている。屋根は鋳銅製、相輪は鉄心に銅製の諸品を挿し込んで組立てている。12世紀平安時代末期の様式を示している。
 銅経筒(総高30.2㎝、筒身高さ24.7㎝、口径12.4㎝)は、鋳銅製の典型的な経筒、蓋(ふた)には甲盛りが著しく、宝珠形の鈕(ちゅう)がつく。底板には平安時代末期ごろ、盛んに行われた草花蝶鳥鏡を筒身の内側に鏡背をむけて入れている。
 銅鏡は、桜菊双雀鏡1面(径13.2㎝)、草花双鳥鏡2面(径7.5㎝、径9.5cmル)、方鏡(ほうきょう)2面(残片)である。
 檜扇(ひおうぎ)の一つは、縦30.3cm、幅3.3cmで2枚の親骨は白銅製、ヒノキ板は21橋で完存している。その二は上部と要(かなめ)の辺の残欠で、親骨ともヒノキの薄板で23橋が残る。両面に花樹、人物の彩絵があり、人物絵はいわゆる引目鈎鼻(ひきめかぎばな)である。
 青白磁盒子(せいはくじごうし)は、1口完存、1口は3個に破損していた。ともに影青(いんちん)といわれる宋窯(そうよう)の製品である。
 紀年銘はないが、これらの遺物は、12世紀平安時代末期のものと考えられ、我が国屈指の貴重な考古資料として国宝に指定されている。