本文
高田八幡文書
南予
書跡・典籍・古文書
鎌倉時代南北朝時代室町時代
| 区分・種別 |
県指定
有形文化財
書跡・典籍・古文書
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|---|---|
| 時代 | 鎌倉時代南北朝時代室町時代
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| よみ | たかたはちまんもんじょ いっかん
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| 名称 | 高田八幡文書 1巻
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| 所在地 | 宇和島市津島町高田
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| 所有者 | 高田八幡神社
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和43年3月8日
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解説
高田八幡神社の由緒は古いが、創建については明らかでない。『宇和旧記』記載の当社棟札写しによれば、天文13(1544)年越智通孝(おちみちたか)が当社を再建、また天正10(1582)年には、越智通顕(おちみちあき)が再建したとある。この文書は、10通の文書を巻子1巻に装丁したもので、内容は鎌倉時代末期から室町時代の終わりにおよび、当社に関する寄進状、譲渡状、願文、下知状からなる。
徳治2(1307)年三善右馬助(みよしうまのすけ)の寄進状、嘉暦3(1328)年平家盛の祈願文、正平16(1361)年越智資俊(おちすけとし)下知状などが含まれている。
これによれば、施主である津島越智氏は、当地方の有力な在地領主であったと考えられる。その由来については明らかでない。西園寺氏が南予の支配者になってからは、その統治下に入っていたと考えられる。
この文書は、中世史料に乏しい宇和郡の歴史を考える上に重要なものである。
徳治2(1307)年三善右馬助(みよしうまのすけ)の寄進状、嘉暦3(1328)年平家盛の祈願文、正平16(1361)年越智資俊(おちすけとし)下知状などが含まれている。
これによれば、施主である津島越智氏は、当地方の有力な在地領主であったと考えられる。その由来については明らかでない。西園寺氏が南予の支配者になってからは、その統治下に入っていたと考えられる。
この文書は、中世史料に乏しい宇和郡の歴史を考える上に重要なものである。
所在地
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