本文
能寂寺文書
東予
書跡・典籍・古文書
鎌倉時代室町時代
| 区分・種別 |
県指定
有形文化財
書跡・典籍・古文書
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|---|---|
| 時代 | 鎌倉時代室町時代
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| よみ | のうじゃくじもんじょ いっかん
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| 名称 | 能寂寺文書 1巻
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| 所在地 | 今治市五十嵐
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| 所有者 | 浄寂寺
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和39年3月27日
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解説
浄寂寺(じょうじゃくじ)は法華山とも号し、臨済宗妙心寺派の名刹(めいさつ)である。寺伝によると、一山一寧の法孫魯山(ろさん)和尚の創建で、もとは能寂寺と号したが、寛文年間(1661~1673年)に松尾山浄寂寺に改めたという。この寺は石清水八幡の別当寺で、河野氏、のち西園寺氏や細川氏の崇敬をうけていた。
文書は11通からなり、巻子本1巻に納められている。内容は、正和5(1316)年から文明16(1484)年に及び、国宣1通、寄進状1通、安堵(あんど)状2通、禁制5通、避状(さりじょう)2通等からなっている。
この文書は、能寂寺の推移のみでなく、南北朝時代以降、河野氏の盛衰によりこの地域が讃岐から入ってくる細川氏との勢力の分岐点になっており、両陣営から保護と威圧をさまざまに受けていたことを示している。中世伊予の歴史研究上、貴重な史料である。
文書は11通からなり、巻子本1巻に納められている。内容は、正和5(1316)年から文明16(1484)年に及び、国宣1通、寄進状1通、安堵(あんど)状2通、禁制5通、避状(さりじょう)2通等からなっている。
この文書は、能寂寺の推移のみでなく、南北朝時代以降、河野氏の盛衰によりこの地域が讃岐から入ってくる細川氏との勢力の分岐点になっており、両陣営から保護と威圧をさまざまに受けていたことを示している。中世伊予の歴史研究上、貴重な史料である。
所在地
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