本文
忽那家文書
中予
書跡・典籍・古文書
鎌倉時代南北朝時代室町時代
| 区分・種別 |
国指定
重要文化財
書跡・典籍・古文書
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|---|---|
| 時代 | 鎌倉時代南北朝時代室町時代
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| よみ | くつなけもんじょ(ひゃくじゅうさんつう)きゅうかん つけたり けんぽんちゃくしょくふじわらのちかかたぞういっぷく もんじょばこいちごう
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| 名称 | 忽那家文書(百十三通)九巻
附 絹本著色藤原親賢像 一幅 文書箱一合 |
| 所在地 | 松山市堀之内(愛媛県美術館)
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| 所有者 | 個人
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 平成21年6月14日
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解説
本文書は忽那家に伝来する中世の武家文書である。
忽那氏は忽那諸島を本拠とした武士団で、平安時代末期に忽那島(現松山市中島)の開発領主として登場し、鎌倉時代には幕府から地頭職に補任された。その後、鎌倉時代末期には後醍醐天皇側に属して奮戦し、南北朝時代には南朝方として瀬戸内海を縦横に活躍した。室町時代になると、伊予国守護職河野氏に属し、江戸時代には帰農して忽那島吉木村の庄屋の地位を維持した。
この文書は、「忽那島相伝之証文巻之一、同巻之二、同巻之三」の三巻及び「忽那一族軍忠次第」、「後醍醐天皇綸旨」、「忽那嶋開発記」、「系図」、「小笠原流弓馬秘伝」、「懐中守札秘伝」の計九巻から成っている。
所収されている文書は、発給時期が元久2(1205)年から大永元(1521)年におよび、海の武士団としての性格を持つ数少ない武家文書である。本文書はほとんどが原文書であり、また各時代の代表的な文書様式を含んでおり、古文書学上においても貴重である。
忽那氏は忽那諸島を本拠とした武士団で、平安時代末期に忽那島(現松山市中島)の開発領主として登場し、鎌倉時代には幕府から地頭職に補任された。その後、鎌倉時代末期には後醍醐天皇側に属して奮戦し、南北朝時代には南朝方として瀬戸内海を縦横に活躍した。室町時代になると、伊予国守護職河野氏に属し、江戸時代には帰農して忽那島吉木村の庄屋の地位を維持した。
この文書は、「忽那島相伝之証文巻之一、同巻之二、同巻之三」の三巻及び「忽那一族軍忠次第」、「後醍醐天皇綸旨」、「忽那嶋開発記」、「系図」、「小笠原流弓馬秘伝」、「懐中守札秘伝」の計九巻から成っている。
所収されている文書は、発給時期が元久2(1205)年から大永元(1521)年におよび、海の武士団としての性格を持つ数少ない武家文書である。本文書はほとんどが原文書であり、また各時代の代表的な文書様式を含んでおり、古文書学上においても貴重である。
所在地
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