本文
興隆寺本堂
東予
建造物
南北朝時代
秋におすすめ荘厳で神秘的
| 区分・種別 |
国指定
重要文化財
建造物
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|---|---|
| 時代 | 南北朝時代
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| よみ | こうりゅうじほんどう いっとう つけたり ずしいっき まきといっこ むなふだにまい
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| 名称 | 興隆寺本堂 1棟 附 厨子1基 巻斗1個 棟札2枚
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| 所在地 | 西条市丹原町古田
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| 所有者 | 興隆寺
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 明治40年5月27日
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解説
真言宗醍醐派の別格本山興隆寺は別名西山寺ともいい、静かな山あいにある。現存の本堂は、文中4(1375)年に再興されたもので、桁行5間、梁間6間、一重である。屋根は一見宝形造(ほうぎょうづくり)にみえるが、実際は寄棟造(よせむねづくり)で、元来茅葺(かやぶき)のものが昭和12(1937)年の解体修理によって銅板葺に改められたものである。柱はすべて円柱、外部組物は禅宗様出組(でぐみ)、花肘木(ひじき)付双斗(ふたつど)で、正面のみ4個の蟇股(かえるまた)が使用されている。四方縁をめぐらし、床は拭板敷(ぬぐいいたじき)で清そな感じを持たせている。
建築の様式は、和様の中に禅宗様の手法をとり入れたもので、室町時代の様式をよく伝える規模の大きい建築物である。
また、内陣の後方には高欄(こうらん)付の須弥壇(しゅみだん)が設置され、その壇上に厨子(ずし)が安置されている。この厨子は一間厨子でしころ造、栩(とち)葺(厚さ0.9~3㎝、幅9~15㎝、長さ63㎝以下の板で葺く)となっており、巻斗、棟札とともにあわせて指定されている。
真鍋家住宅はJR川之江駅の東に広がる山地のほぼ中央部、香川県境に近い標高約250mの「切山(きりやま)」地区にある。昔からこの地区は平家落人(へいけおちうど)の里とされていた。
敷地は南に小高い山地を背負い東西に細長く、主屋は敷地の南よりに北面して建っている。主屋は桁行(けたゆき)5間(10.3m)梁間(はりま)3間(6.1m)寄棟造(よせむねづくり)、平屋建(ひらやだて)、茅葺(かやぶき)、平面積58.59㎡で、間取(まど)りはいわゆる「中ねま三間取(みまど)り」、つまり土間(ニワ)に添って2室(マエとオク)、その奥に8畳のザシキをとる三間取りの型である。建築は江戸時代前期(17世紀中ごろ)のものとされ、民家としては愛媛県はもちろん、全国的に見ても非常に古い遺構である。しかも、妻側と裏側は総て土壁塗籠(ぬりごめ)とした閉鎖性の強い形式で、この型は四国では東予を中心とする地方の民家の祖型として重要である。
建築の様式は、和様の中に禅宗様の手法をとり入れたもので、室町時代の様式をよく伝える規模の大きい建築物である。
また、内陣の後方には高欄(こうらん)付の須弥壇(しゅみだん)が設置され、その壇上に厨子(ずし)が安置されている。この厨子は一間厨子でしころ造、栩(とち)葺(厚さ0.9~3㎝、幅9~15㎝、長さ63㎝以下の板で葺く)となっており、巻斗、棟札とともにあわせて指定されている。
真鍋家住宅はJR川之江駅の東に広がる山地のほぼ中央部、香川県境に近い標高約250mの「切山(きりやま)」地区にある。昔からこの地区は平家落人(へいけおちうど)の里とされていた。
敷地は南に小高い山地を背負い東西に細長く、主屋は敷地の南よりに北面して建っている。主屋は桁行(けたゆき)5間(10.3m)梁間(はりま)3間(6.1m)寄棟造(よせむねづくり)、平屋建(ひらやだて)、茅葺(かやぶき)、平面積58.59㎡で、間取(まど)りはいわゆる「中ねま三間取(みまど)り」、つまり土間(ニワ)に添って2室(マエとオク)、その奥に8畳のザシキをとる三間取りの型である。建築は江戸時代前期(17世紀中ごろ)のものとされ、民家としては愛媛県はもちろん、全国的に見ても非常に古い遺構である。しかも、妻側と裏側は総て土壁塗籠(ぬりごめ)とした閉鎖性の強い形式で、この型は四国では東予を中心とする地方の民家の祖型として重要である。
所在地
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