本文
明教館
中予
建造物
江戸時代
ノスタルジックな気分にひたる
| 区分・種別 |
県指定
有形文化財
建造物
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|---|---|
| 時代 | 江戸時代
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| よみ | めいきょうかん いっとう
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| 名称 | 明教館 1棟
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| 所在地 | 松山市持田町2丁目
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| 所有者 | 愛媛県
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和44年2月18日
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解説
明教館は旧松山藩の藩校名である。その校舎のうち、講堂が現在遺構として残されている。建物は桁行17.7メートル、梁間12.5メートルで木造平屋建、入母屋造、桟瓦葺である。
文政11(1828)年2月3日に松山藩主松平定通が藩士の文武奨励のため、現在の松山市二番町に設置し、その後昭和12(1937)年に旧松山中学校(現松山東高校)の校庭に移築された。
定通は叔父松平定信の影響を強く受け、「倹約の励行」・「殖産興業」・「文武の奨励」を内容とした藩政改革を実施した。その施策の一つとして明教館は建設されたもので、東を武道場、南を学問所とし、日下伯厳・高橋復斉が教授として登用され朱子学を中心に講義が展開された。
藩学及び英学所、松山中学など愛媛近代教育草分け時代の建物である。
文政11(1828)年2月3日に松山藩主松平定通が藩士の文武奨励のため、現在の松山市二番町に設置し、その後昭和12(1937)年に旧松山中学校(現松山東高校)の校庭に移築された。
定通は叔父松平定信の影響を強く受け、「倹約の励行」・「殖産興業」・「文武の奨励」を内容とした藩政改革を実施した。その施策の一つとして明教館は建設されたもので、東を武道場、南を学問所とし、日下伯厳・高橋復斉が教授として登用され朱子学を中心に講義が展開された。
藩学及び英学所、松山中学など愛媛近代教育草分け時代の建物である。
所在地
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