本文
伊予源之丞
中予
現代(昭和20年(1945)から現在)
荘厳で神秘的
| 区分・種別 |
県指定
無形民俗文化財
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|---|---|
| 時代 | 現代(昭和20年(1945)から現在)
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| よみ | いよげんのじょう
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| 名称 | 伊予源之丞
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| 所在地 | 松山市古三津
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| 所有者 | 伊予源之丞保存会
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| 管理団体 | |
| 指定年月日 | 昭和39年3月27日
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解説
明治の初め、三津新町で荒物屋を営んでいた宝来屋新造が、「宝来座」という一座を組織し、三津の三穂神社で人形芝居を始めたのがこの座の起源である。
明治20(1887)年以降、大型頭の淡路人形を導入し、大正時代に入って吉村座(松山市吉田)、泉座(松山市泉)、上村六之丞(松山泉町)を併せて60人を超える大きな座となり、県内各地のほか、九州、朝鮮、上海まで巡業の足を延ばしていたが、大正12(1923)年の朝鮮巡業に失敗して一時解散状況に追い込まれた。しかし、有志によって再興され、昭和10(1935)年に上村治太夫(松山市三津)を吸収して現在名の「伊予源之丞」と改称したのである。
戦時中一時中断状況にあったが昭和34(1959)年久松鶴一の尽力で保存会が結成されて再発足し、翌35(1960)年には宮前公民館に「文楽保存研究会」も結成された。
明治20(1887)年以降、大型頭の淡路人形を導入し、大正時代に入って吉村座(松山市吉田)、泉座(松山市泉)、上村六之丞(松山泉町)を併せて60人を超える大きな座となり、県内各地のほか、九州、朝鮮、上海まで巡業の足を延ばしていたが、大正12(1923)年の朝鮮巡業に失敗して一時解散状況に追い込まれた。しかし、有志によって再興され、昭和10(1935)年に上村治太夫(松山市三津)を吸収して現在名の「伊予源之丞」と改称したのである。
戦時中一時中断状況にあったが昭和34(1959)年久松鶴一の尽力で保存会が結成されて再発足し、翌35(1960)年には宮前公民館に「文楽保存研究会」も結成された。
所在地
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