西線フェリーは釣島・神浦を経由します。
※松山での車両乗降は三津浜港のみ可能です。
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しまの詳細:津和地島(つわじじま)
忽那諸島西端にある島で、島民の威勢のいい声が飛び交う活気ある島です。
愛媛県、山口県、広島県との県境位置する島です。
かつては瀬戸内海の要衝として参勤交代に向かう諸大名を接待するため松山藩のお茶屋が港に置かれていました。秋祭りには勇壮なだんじりや神輿が、威勢のいい掛け声とともに集落内を練り歩きます。
柑橘栽培が盛んですが、近年はイノシシ被害が軽減されるなどの理由から、玉ネギが多く栽培されるようになりました。砂地で作る玉ねぎは辛みが少なく、生でもそのまま食べられるほど甘みが強いのが特徴です。
また、ヒラメやアワビの養殖など漁業も盛んに行われています。
秋のお祭りの時に神輿と共に集落内を練り歩きます。忽那諸島内でだんじりを引くのは津和地だけで、秋のお祭りは最も盛大に行われています。以前は4台出ていましたが、現在は組ごとに3台のだんじりを担ぎます。だんじりの上には子どもが4人乗り、掛け声に合わせて太鼓を叩きます。
かつて瀬戸内海航路の要衝として、参勤交代に向かう諸大名を接待するための御茶屋が港におかれていました。松山藩主の名代である八原家が常駐し、参勤交代の便宜を図るなどの功績をあげました。現在、その跡地は保育所になっていてその片隅に碑が建てられています。
1945年 8月9日、呉から大津島へ航海中の第21号輸送艦がアメリカ機の空襲に遭い、それによって発生した火災が積載していた弾薬に引火、爆発。損傷した艦が津和地島の浜に突っ込み座礁しました。身の危険をかえりみず島民総出で救出活動をし、負傷者を小学校に収容し応急処置を行いましたが、63名が命を落としました。現在は防波堤ができ砂浜はありませんが、遺族や生存者が建立した碑が残されていて、地元の小学生が定期的に清掃活動をしています。
1634年開山の曹洞宗の寺院。高台にあるため境内からの景色は素晴らしく、集落越しに怒和島まで見渡せます。また、境内の奥には第21号輸送艦で亡くなった63名の名前が彫られた慰霊碑が建てられています。
津和地島の地形は急峻で、地表は保水力の小さい花崗岩風化土で覆われ、河川が未発達で流量が少なく、水資源に恵まれていないため、日本初の貯水兼導水トンネルが建設されました。島をほぼ南北に貫くこのトンネルの貯水量は12,000立方メートルで、島民の50日分と言われています。
年間を通して様々な体験ができます。お料理は島で獲れた海鮮と、自家栽培した野菜を使ったご主人こだわりの島料理を堪能できます。
津和地港から徒歩10分程の場所にあります。リピーターの多い穴場スポットです。
三津浜発 | 高浜発 | 津和地発 |
---|---|---|
9時10分 | ー | 10時48分 |
16時40分 | 16時55分 | 18時33分 |
津和地発 | 高浜発 | 三津浜発 |
---|---|---|
6時56分 | 8時38分 | 8時50分 |
14時49分 | ー | 16時25分 |
西線フェリーは釣島・神浦を経由します。
※松山での車両乗降は三津浜港のみ可能です。
高浜発 | 津和地着 |
---|---|
7時40分 | 8時43分 |
15時15分 | 16時19分 |
18時25分 | 19時28分 |
津和地発 | 高浜着 |
---|---|
6時28分 | 7時30分 |
12時34分 | 13時36分 |
西線高速船は神浦・上怒和・元怒和を経由します。
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